『一発逆転』通信

あなたの生活に豊かな彩を・・・ Jesus, You're the Center of my joy.

今日のかて

今日のかて ルカ 5:3-6

イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。
話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。
するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。
新約聖書 ルカの福音書 5:3-6

私達の力が尽きた時、人の思いが尽き果てた時、神の御業が現れます。
それは人の力に一切よらず神のみによってなされた御業であり、神の絶大な力、深いみこころを、私達はそこで初めて知ることができるのです。
主のあわれみは尽きることはありません。
そして私達の唇は、神を賛美することを止められないでしょう。
それこそが神の栄光であり、この栄光を受けるにふさわしい方は神のみなのです。
神は私達が力を尽くさなければ何も出来ないような方ではありません。むしろ、誰の力にもよらず、ただご自身が全てを満たし、全てを動かし、全てを完成されるのです。
この絶大なる神の存在の前に全ての被造物はひれ伏すのです。
だからこそ、それを現すために私達の力が思いが残るうちにはご自身の全容を現されることがないのです。
これは絶望ではありません。神にある真の希望なのです。
しかしここで、その御業を見る前に、主は一つのことを求めています。
まず主の御言葉に伏し、従うこと。
確かにこの状況においてはぺテロはプロの漁師であり、そのような人が一晩中漁をして何も取れなかったのであるから、全く漁の素人であるイエス様の言葉は現実に反対している言葉に聞こえるでしょう。ここでもしぺテロが自分の主張だけを押し通し、神の御言葉を退けていたら彼は一生救い主であるイエス様に出会うことはなかったかも知れません。
でも、彼は神の言葉に従った。
「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
あらゆる状況において、自らが現実の中で無力さを感じるほどに万策が尽き、失望に膝を抱え込もうとする時、私達は主の御言葉を聞くべきです。そして御言葉にひれ伏し、従うところから、歩みを始めるべきです。
主はあなたのすぐそばに立たれ、あわれみを湛えて、恵みを注ごうと待っておられるからです。
やさしく語りかける主の導きに全てをゆだねて生きることができる人は幸いです。
言葉に尽くすことのできない、大いなる主の栄光をそこに見ることができるのですから。


主よ。私はあなたがいるから、どのような時にも心強いのです。たとえ全てが尽きたように見える時でも、この時こそあなたの栄光が真に現される時だと告白できるのです。今こそ、あなたの本当のみこころの深さを知ることができると、あなたのみに希望をよせることができるのです。主よ。小さな私に絶大なるあなたを現してください。私が真にあなたを知り、またここに現された栄光に触れた全ての人々もあなたを知って、あなたへの賛美が溢れるために。

今日のかて イザヤ 46:10

わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる。』 と言う。
旧約聖書 イザヤ 46:10

新しい年を迎えました。
しかし、私達を取り巻く情勢は、昨年に引き続き今年も厳しく、不安を抱かせるようなことが国内にもまた世界的にも山積みの状態です。答えが見えず、どこに希望を置いていいのかと思われている方もおられるでしょう。
私達の生活はもう後戻りできない大きな変化の中、逃れようのない現実の中を生きているという閉塞感を、誰もが抱いて歩まなければならない時代に突入しています。
そこで、私達は何を基準にこのような時代を歩むべきでしょうか。
このように人間の力では到底立ち行かない問題の前でこそ、私達は聖書をもってその足元を照らし、歩むべき道を見出す必要があるのです。
預言者イザヤが生きた時代も、厳しい現実に今まさに飛び込んでいこうとする時代でした。神の民として神に選ばれたイスラエルはしかし神から離れ、罪を重ね続けました。選民でさえそのように神から背を向けた時代、周辺諸国では尚更罪が全地に満ち、その積み重なる罪に神の裁きが下ります。さばきが神の家から始められる時が来た。イザヤはまずこれから起ころうとしている神の家への裁き、バビロンへの捕囚の預言を神から語られます。
しかし、続いてイザヤはこの地が終焉を迎える、世の終わりまでの一連の預言を与えられて行くのです。そしてやがて神の計画の結論を目の当たりします。その時、この主の計画の結論がいかに壮大で恵み深く、人の考えは到底及ばず、遥かに素晴らしいものであるかを知り、真の希望を預言するのです。
人々の犯した罪が満ち溢れ、地がのろわれ、神の裁きの時が満ち、まさにそれが目の前に起ころうとしている。それは今の時代も同じです。聖書における終末の預言、その条件はまさに整えられています。神の裁きへの時は満ちつつあるのです。
だからこそ、聖書に語られている神の計画の結論をしっかりと見て、真の希望を受け取るべきです。
神はその計画の結論にこのように語ります。

《新約聖書 黙示録 21:1-4》
また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

主と私達が共に住まう。キリストと、キリストを愛する花嫁である教会の結婚。死も悲しみも叫びも痛みももはやない。キリストとの永遠の愛の関係に入り、神と一つとされる。神の喜びが私達の喜びとなり満ち溢れる。天国の完成。永遠の祝福と永遠の主の栄光。
これは裁きが夢物語ではないのと同様に、夢物語ではありません。この大きくうねる時代の波動こそ、その証拠。
そうです。むしろ、この完成に向けての時代の収束の中に、神の裁きが先立って存在しているのです。全ての悪しき者は裁かれ、闇はまことの光の前に 消え去る。古きが消え去り全てが新しくなる。この工程がなく、天国の完成はありえません。
そこに私達は裁かれる者ではなく、ただキリストが十字架に私達の代価を払われた故に、罪なき者として立たせられ、さらにはキリストの花嫁として主 に愛溢れる眼差しで見つめられ、神の永遠の懐ろの内に引き寄せられるのです。その愛にある永遠の喜びこそ、私達の永遠の望み。言葉に尽くすことが できない特権に私達は預かっているのです。
だからこそ、この終焉の時期に私達は神に取り分けられ、この永遠の計画の完成になくてはならない、主の働きのために生きる者として、歩みを進めるべきでしょう。
永遠の結論は今日の御言葉の通り、言葉に尽くせない幸いの内にすでに語り尽くされ、そこに至る道のりはすでに神の御前に完成しているのです。私達に何も心配はいりません。ただこの主の計画、主の御心に身をゆだね、主と共に歩むのみなのです。そうするのであれば、後は自動的に、すでに完成した計画に向け、進み続け、一つ一つ事は全て成就していくのです。

あなたはこの御言葉にある永遠の希望を信じますか?


主よ。まさに時代の波動を感じていますが、これこそ永遠の望みへの確かな鼓動です。今この時代に絶望ではなく、あなたの永遠の計画、真の希望を、私達にこの内に住まう主の霊の内に見させてください。どうかあなたの御心にふさわしい者としてこの終末の時代を歩ませて下さい。主イエスの御名で祈ります。
アーメン。

今日のかて ローマ 8:31

では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 ローマ 8:31

あなたに敵対する現実は何ですか?
現実の重さに押し潰され負けてしまいそうに、心が折れてしまいそうになる時もあるでしょう。
目の前に立ちはだかる問題の数々、人間関係の難しさ、心の疲れ、痛み、自分との葛藤、罪との戦い、将来を考える時この不透明な時代に不安を抱く人もいるでしょう。
悩みを持たない人間はなく、その悩みは千差万別。しかしこの自分の戦いを誰も代わってはくれません。
しかし、天地万物を治められる主権者、王であられる方、全ての名の上に立たれる方、この世にある全ての者に勝る大いなる方、神があなたに味方していることを忘れないでください。
この方は十字架の死とよみがえりにより、全てに勝利した方なのです。この勝利はすでに完成しているのです。
完全なる勝利者である方を信じるあなたに敵対し得る現実は存在しないのです。
だから、もうあなたは敗北の幻にこれ以上偽られる必要はないし、もう何かから敗北しているかのように逃げる必要もないのです。
勝利者として、主と共に全てのことに勝利を宣言し、全ての現実に向き合えばよいのです。主が味方する者として、あなたが勝利者としての事実に立って歩むこと、その一歩を踏み出すならば、それがすべて現実のものであることを体験し、知ることとなるでしょう。
そうです。あなたは主にあって、あらゆることに主の勝利を顕す、圧倒的な勝利者なのです。

どうか、主よ。あなたの完成された御業の上に立たせ、あなたの勝ち取られた勝利に生きる者としてください。自分の力に頼るのではなく、あなたの成された十字架の御業の故に、圧倒的な勝利者としてください。あなたの勝利により、全てのことに勝利する者としてください。あなたの十字架の勝利を、私の上に顕される勝利により、この世に知らしめる者としてください。全ての者達、全被造物がこの勝利の前に、主を恐れ、ただ主のみがあがめられますように。主の御名のみが讃えられますように。主イエスの御名によりて。アーメン†

今日のかて マタイ 24:35

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
新約聖書 マタイ 24:35

今のような時代ですから、この天地がやがて滅びるということを、実感として今感じている人も多いのではないでしょうか。
そしてそのときは、私達の持っているものはもちろん何ものも役に立ちません。私達がこれまで頼りにして来たものは何の意味もなくなるのが現実です。
しかし一旦これまで信頼し盤石だと思ってきたものが崩れ去るのを実際に目撃し、またその上に立てられてきた生活が脆くも崩れ去るのを見た時、私達の生活が砂の上に建てられた城のように、いかに虚しく崩れ去るものの上に建てられていたのかを感じたでしょう。
これまで日本が誇りとし、変わることがないと思ってきた、日本人の英智、それに基づく政治経済システム、その繁栄の日々が、このようにただ一日に崩れるものであったと、誰が予想することができたでしょう。あの平和で豊かな国だと思われていた私達の生活はあの一日を境に過去のものとなり、盤石だと思われていたこの国のシステム自体が、国の復興を阻むという悲惨な構図が生まれています。人の知恵や力は今なお続く災害に、成す術なく無力です。
でも、だからこそ聖書が力強く語っていることがわかります。
そうです。神の御言葉は決して変わることがありません。それは天地が滅びようともです。
むしろこの言葉に反抗する者こそ滅びに至るでしょう。それほどの絶対性を神の御言葉は持っているからです。
神は言葉によりこの天地万物を造られました。
ですから、全てのものはこの御言葉から成り、この御言葉により保たれています。
つまり、全てのものを治める法則とはこの御言葉に外ならないのです。
一度神が語り出された御言葉は虚しく返ることなく、必ず全て成就します。
でなければ、この御言葉により全てのものが保たれている以上、その御言葉が一言でも成就しないならば、全てのものが崩壊し、消滅するからです。
御言葉に従い御言葉の内に生きる者は、今日の御言葉が真実であることを知るでしょう。
そしてその人生の経験の中に、私達の人知や力をはるかに超える問題に遭遇したとしても、御言葉の約束のままに、私達はあらゆる逆境にも救いを得、むしろ神の栄光を現すものとして、圧倒的な勝利者として、全てのことを超えて生きる者となることを体験するのです。
あなたはこの御言葉を疑い、あるいは時に否定し、御言葉に反抗する者となって、神と対抗し滅び行く者となるでしょうか。
それとも、この御言葉に信頼を置き、御言葉の権威に伏して、御言葉に従い、御言葉の内に生き、御言葉を成就する者として生きるでしょうか。

愛する主よ。私達は目に見えざるともあなたを知り、愛しています。それは目に見えるものがいかに崩れ去ろうともです。なぜなら、あなたは永遠に変わりなく、永遠に「私は在る」お方であるからです。あなたに根拠を置くとき、どんなに揺らぐ天地の中にも、揺らぐことのない希望を持てることに感謝します。あなたは愛をもって日々私達に語りかけ、その御言葉は永遠に変わることがありません。御言葉が私を導き、私を守り、私を生かします。そしてあなたの御言葉は全地を覆い、あなたのみこころが日々成就するのです。どうぞ、私達をこの変わることのない御言葉の内にとどまらせ、御言葉の内に生きる者としてくださいますように。愛する主イエスの
御名で祈ります。アーメン


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今日のかて 詩篇 119:97

どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。
旧約聖書 詩篇 119:97

この「みおしえ」は神からのみおしえであり、聖書の御言葉として見るのであれば、この箇所の意味はわかりやすいのではないでしょうか。
聖書の御言葉は(聖)霊がその本質的意味を全て知るため、最初に霊が受け入れます。
やがてその霊が私達に真理を解き明かすために、心にその意味を理解します。
納得することを「腹に落ちる」と言いますが、そのように最初はその御言葉の意味が心にわからなくとも、繰り返し味わう内にやがてある日、理解でき、心の深くに納得行き、腹に落ちるような時が来ます。
そしてその御言葉を基に日々の生活を生きるのであれば、その御言葉を自分の人生に体験することとなります。
神の言葉は決して変わることがありませんから、解き明かされた真理はその約束の通り自分の人生に働くことを知るでしょう。
主の御言葉は生きていて、私達に命を与えるものですから、このように内側から外に向けて、主の命が溢れるように、御言葉もその内から外に、私達の人生全般に満ち溢れるようになります。
そうして私達が御言葉を知り、味わい、御言葉にとどまり、御言葉の内に生きるのであれば、私達は神ご自身を知り、また私達に与えられている神の国がいかに栄光に富んだものであるかを知るでしょう。また私達にすでに与えられている希望がいかに絶大なものであるか、どれほど壮大なものを神から私達はすでに受け取っているのかを知ることになるでしょう。
神が私達をいかに愛しているかを御言葉に知る内に、私達は自然に御言葉を深く愛し、これを思う一日を過ごさざるを得なくなるでしょう。全ての基準を御言葉に置き、御言葉を自分の思いとする時、私達はいかなることにも揺るがされることのない、祝福された日々を歩むようになるでしょう。
あなたも聖書を読みたくはありませんか?

愛する主よ。御言葉は私達を生かす命の糧、揺るがぬ土台です。どうかこの御言葉を味わい、御言葉に生き、御言葉をあなたからの言葉として愛する者としてください。これを日々の中心に置き、あなたを知り愛する生活の始まりとしてください。この御言葉に生きることにより、私達の内にキリストを形作り、キリストの身丈に至るまで、成熟させ栄光に至らせてください。どうかこの全てのことがあなたのみこころを成就し、あなたを渇きを潤すものとなりますように。主イエスの御名で祈ります。アーメン


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今日のかて エペソ 1:17

どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
新約聖書 エペソ 1:17

この知恵と啓示の霊がなければ私達は何も知ることができません。
けれどもそれを自分の力で何とかしようとするところに、信仰の矛盾が生じるのです。
神は私達がご自身を知ること自体を、人間の力や知恵によることはなさいませんでした。なぜなら、神という無限の存在はあまりに絶大過ぎて、人間の能力ではとても受け入れることができないからです。
つまり神と比べるならばあまりに微細である人間の知恵では、神にたどり着くことすらできないのです。
人間の能力では自分の能力の中で想像し得る神を考え出すことはできるかも知れませんが、今生きておられる神ご自身、その実体を知ることはどうしてもできません。
そしてそれを知らなければ、私達に命を与える神と、私達は命にある交わりを持つことができないのです。
しかし、幸いなことに私達は主イエスキリストを信じたその時から、この知恵と啓示の霊である聖霊が内に住まい、この霊によって神を知り、神を信じることが出来たのです。
そして今も、私達がこの知恵と啓示を神に求めるならば、神ご自身を知ることを、神はこの上なく喜んでくださり、私達にご自身を証してくださいます。
人の知恵を遥かに超える深遠な真理を、この知恵と啓示の霊によって、私達は初めて知ることができるのです。
神が私達に用意し与えようとされているものは、あまりに絶大なものです。
臆する事なく大胆に主に求めていきましょう。

愛する主よ。取るに足りないものをもって、あなたを証してくださることは、あなたのみこころに確かにかなうことです。どうか、目の見えない者の目を開き、耳の聞こえない者を聞こえるようにされた主よ。知恵なき私にあなたを知らしめてください。私の命として私の内に住まい、ご自身の全てを証してくださる主よ。どうか、あなたを知る絶大な価値を、多くの人々に証する者としてください。そして、何もない者に、あなたの深遠な知恵と啓示が現わされたことによって、ただあなたのみ栄光をお受けになり、全ての者がただあなたをほめたたえるに至りますように。主イエスの御名前で祈ります。アーメン


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今日のかて ヤコブ 1:21

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
新約聖書 ヤコブ 1:21

何か難しいことを言っているのではありません。御言葉(聖書)を素直に受け入れる、そこから信仰生活が始まります。
難しい理解、わかりもしない学問をせよとも、難解書のように聖書を読解せよとも言っていません。
聖書は霊(私達の内に住まう聖霊=キリストの命)の内から解き明かされていくものです。頭から理解していこうとするとかえってわからなくなるようなものです。
時にかなって、私達各々に、心に植えつけられるように、御言葉が心の深くに自然と納得されていく。ここに従って生きる毎日が、生来汚れや悪を持つ私達の心を、書き換えて行くのです。それは御言葉の中に生きる毎日、主を知る経験を重ね、主と共に生きる人生を歩むことです。このことで私達は心が癒され、たましいが救われ、内側から回復していくのです。
聖書信仰に立つ、聖書を書かれたそのままに信じて生きること、それが信仰生活を歩む基軸です。
御言葉からの語りかけに、「だって」「でも」「そんなことを言ったって」と気づかずに否定や疑いを重ねることを止め、まず受け入れ神に従うことから始めてみませんか?

主よ。あなたの救いは私達の内に住まうあなたの命が、死ぬべき私達を生かすところから始まります。それはただあなたによる御業、私達の何ものにもよりません。ただあなたの愛によるものです。それを私達の力で達成しようとする時、それはすでに命のないもの、それはただの宗教となり、私達は死に向かいこそすれ、私達を生かすことはありません。どうか、私達があなたの主権の前に伏し、御言葉の前に従うところから、今ひとたび全てを始めさせてください。聖書をそのまま信じる、シンプルな信仰に立たせてください。それ以上にあなたと共に歩む生き方は存在しないのですから。信仰を御自身から始められ完成された、あなたのあわれみにただすがり
ます。感謝し主イエスの御名で祈ります。アーメン



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今日のかて 詩篇 121:5-8

主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
旧約聖書 詩篇 121:5-8

このような時代だからこそ、私達にはシンプルな信仰が必要です。主の約束は実にシンプルで、だからこそ揺らぐことがありません。
頭で考え過ぎると受け止めきれない現実があります。
しかしだからこそ主の御言葉が私達を単純に救いに導くのです。主の許に揺るぐことのない平安があります。主にあることが全ての始まりです。
この幸いの約束の前に伏し、今あなたもこの豊かな主の招きに答えて行きましょう。

主よ。ただ一日で天も地も変わる激動の時に私達は生きています。それはおそらく、主よ、あなたの終わりの時の計画のうちにあるのでしょう。私達にはとても受け入れきれない現実を目前にしています。だからあなたの御言葉の前に今伏します。そして神の真実のゆえに、この御言葉が私達一人一人の生活の中にすでに成就していることを感謝いたします。あなたこそ私達の完全な守り、あなたこそ私の完全なる平安です。私はあなたの許に永遠に安らぎます。このあなたの愛から引き離すものはこの世に存在しないのですから・・・。感謝します。


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今日のかて マタイ 27:46

三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
新約聖書 マタイ 27:46

十字架の上でイエスはこのように叫ばれました。
神の御子なる方が神に見捨てられる。このありえない事実が今や私達の真の希望となりました。
この方が見捨てられたからこそ、私達は永遠にそしていかなる時も、神に見捨てられることはないのです。
私達が十字架を仰ぐとき、そこには私達自身の姿が重なります。
彼の死は私達の死であり、だから彼のよみがえりが私達のよみがえりとなったのです。
彼の死が私達の永遠の命となりました
彼の負ったさばきは本来私達の追うべきさばきでした。神は私達の罪のため、罪を知らない方を罪とされ、彼は永遠の滅びを身に負われました。
そして、そのことによって私達は神の前に義(罪なし)とされました。ここに私達の罪は神の義と変えられたのです。
彼の打ち傷が私達を癒し、彼の貧しさが私達を富む者とされたのです。
すべては十字架の上でなされた御業。この十字架が私達自身のものとして、イエスキリストの姿と重なった時、初めて私達は救いの本質を知りまた受け取ることになるのです。
だからこそ、私達は今日も十字架を見上げ、そこにイエスの御姿と自分の姿を見るのです。
私達を囲む現実は確かに決して軽いものではないかも知れません。この国の状況は3月11日を境にたった一日で激変し、その後に待つ日本の将来を人の目で見るのであれば、希望を見出すのは難しいように見えるかもしれません。
ある人は悲しみの中、悩みの中、苦しみの中、絶望しそうになるかも知れません。
神に見捨てられてしまったのかと、現実を、自分の姿を見て嘆くこともあるかも知れません。
しかし、この見捨てられた神の姿を見てください。だからあなたは神に見捨てられることはないのです。
神の痛みの姿を見てください。だからあなたの痛みは癒されるのです。
十字架の上のイエスの死の姿を見てください。だからあなたはよみがえるのです。
永遠に消えることのない、信仰と希望と愛はここに顕されているのです。
これは決して変わることがないのです。
さあ、共に十字架を見上げましょう。

主よ。ただあなたの十字架の愛に感謝します。あなたは私に何一つよらず、その十字架の御業を私の内に完成してくださいました。これは天地が滅びようとも揺るぐことのない事実。私はこの十字架を私の唯一の避け所とします。全ての希望はここに溢れ、全てのものがここに備えられているからです。私をとこしえに愛してくださるあなたの深い愛をこの御姿に見上げます。私は、あなたととこしえに一つとされたこの十字架の上に、永遠の幸いを見出します。だから主よ。心からあなたに感謝します。だから主よ。あなたにのみ栄光が帰されますように。



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今日のかて 創世記 18:20-32

創世記 18:20-32
そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行なっているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」
その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。
アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」
主は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」
アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。
もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」
そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしやそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」
また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」
彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」
彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」

今私達の国に起こっている現状を目の当たりにする時、言葉を失います。
この現実に目を背けることはできません。慰め、励まし、戒め、あらゆる人の思いでこの現実を乗り越えようとしても、ここから語られる主の問いかけから、私達は逃げることはできません。
事実この国は今のままならば最後の審判の火から逃れることはできないでしょう。確かにそれは主イエスの一方的な恵み十字架を拒絶したからであり、神の御怒り、審判の火からの救いを拒絶した者には永遠の滅び以外に道は残されていません。ただ救い主イエスを信じ受け入れるというあまりに低い条件は、神のあわれみのゆえであり、侮(あなど)られるものではありません。しかし主の名を侮る者が溢れるこの国の未来は、確かに私達が眼前に見る光景をはるかに越えて悲惨なものです。
永遠の滅びの火は今私達を悩ます原発事故の火よりも比較にならぬ激しいもの、死の毒である罪は撒き散らされる放射能よりも悪性で、やはり目には見えず、知らないうちに人々を死に引きずりこみます。
そして多くの人々の魂が永遠の火の中にどんどんと眼前で落ちいくのです。
主の目には、この国が永遠の滅びに一直線に向かい、もう後がないように映っていることでしょう。
なぜなら、誰にでもわかるビジュアル的な形で、目にはっきりとわかるよう、主の目に見えているものを私達は警告として今見せられているのです。
霊的な世界で見えていることはやがて現実の世界に実体化します。ですからこのままならば、この国はこの現実世界の滅びに飲み込まれて行くでしょう。
霊的世界で主が私達に語りかけていることを逃れて、どうして現実世界の危機から逃れることができましょう。
ただ私達が唯一主イエスが救い主と知る者なのです。彼から直接この地に遣わされた私達の存在理由は、ここにあるのではないでしょうか。
この国の永遠の滅びへの破れ口に立ち、主にとりなしを祈ることができるのは私達だけです。
そして、この滅びの現実の前に断腸の思いで立たれる主の痛みを癒すために生きることができるのは私達だけなのです。
この事実を前に、あなたはどう主の前に立ちますか?どう生きますか?

主よ。私達の罪を御赦しください。あなたを退け否み侮った私達を御赦しください。どうかあなたのこの思いを軽んじ破れ口に立たなかった私達を御赦してください。私達の罪を覆うのはあなたのあわれみだけです。どうか、この国を私達をあわれんでください。どうか、あなたご自身のあわれみによって、あなたのこの断腸の痛みを静めてくださいますように。


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新橋駅前広場にて、人生の真実を叫び続ける伝道者、ストリートメッセンジャーのTaka♪です。
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