希望の光はどこにあるでしょうか?
あなたはそれをどこへ探しに行きますか?
クリスマスシーズンにはイルミネーション輝き、あるいはキャンドルの灯火がクリスマスムードを高めてくれるかも知れませんね。
しかし、あなたの人生そのもの、命そのものに、希望を灯す光を探し出すのは至難の技です。
クリスマスが終われば消えてしまう輝き。でもどこかに希望を感じているからこそ、人はこの灯火に心惹かれるのでしょう。
さあ、その灯火をどこに探しに行きましょうか?
その灯火は案外あなたのすぐ近くにあるのをお気づきでしょうか?
クリスマスはあなたの人生に救いを与えるために、あなたの救い主が誕生したことを祝う日です。
どのような闇も勝つことのできないまことの光、命の光がこの地に来られました。
それは救い主イエスキリスト。
それはあなたの中の闇を、あるいはあなたを取り囲む闇を、すべて飲み込むまことの光。
私達の心を覆う闇、それは不安、それは恐れ、それは悲しみ、それは悩み、それは絶望、、、それは罪。
この闇をどうにか取り除きたくて、誰もが本当は希望の光を探し求めている。
そう、だからあなたのために、このまことの光は救い主として、この地に誕生しました。
神である存在(神の御子である存在)が人の姿となられて、無限の存在である方が、あまりにも無力な人間の姿として、この地に来られたのには訳があるのです。
彼の誕生は、今クリスマスが祝われているほど華やかなものではなく、もっとも暗く、汚く、臭い、人がおよそ誕生するべきではない場所でした。
それは家畜小屋。
この地には彼の誕生を祝う者はなく、ただほんの一握りの人々にしかそれを知らされませんでした。
それは、当時の最も貧しく過酷な労働を強いられていた人々(羊飼い)や、当時の宗教背景はユダヤ教でしたが、宗教的にはそれとは全く関係のない人々(異邦人)でした。
彼の特殊な誕生劇は、私達がどのような背景の人生を歩んでいても、どんなところに生きている人であっても、彼があなたの救い主となるために、最も低く卑しく貧しい者となるための誕生だったのです。
およそ、その人生において私達が負うべき全ての重荷をご自身で負うために、神は彼がこのように誕生することを望んだのです。
だから、その知らせはごく一握りの人にしか知らされなかった。
しかし、その誕生を見ることができた、貧しく小さく卑しい者達には、この救い主の誕生は神からの人類最大のプレゼント受け取ったこととなったのです。
この救い主に出会うために、何か偉くなる必要や、修行する必要や、努力の積み重ねで到達する必要はないということをこの誕生の事実は物語っているのです。
人は神に出会うために、何か天に居る神の所までよじ登らなければならないような、そんなイメージを抱きがちです。
だから限られた修行をした人とかしか神に出会えない気がする。救いがない気がする。確かにそれが宗教です。
ところが、神はあなたに出会うために最も低い所にまで降りてきてくださったのです。
どこを探し回る必要もありません。
救いの光はあなたのすぐ近くにあるのです。
あなたが主イエスキリストをあなたの救い主として信じ、あなたが受け入れた時に、全ての闇を飲み尽くすまことの光は、あなたの内側に命の光として、光を灯すのです。
そう。この時あなたも人類最大の神からのプレゼント受け取ることとなるのです。
あなたもその本当のクリスマスプレゼントを受け取りたいと思いませんか?

《新約聖書 ヨハネの福音書 1:1-5,9-13》
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
-中略-
すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。
彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。