ただ、言っておきます。 わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
新約聖書 マタイ 26:29

これは最後の晩餐の席で、主イエスが語られた一言です。ご自身の血で立てられる新しい契約の杯として、ぶどうの杯を弟子達に分かたれた時のものです。そして、ここには主の深い思いが込められています。
ぶどうの実で造った物をもう飲むことはないと言われたのは、旧約聖書にあるナジル人の誓願の規定に重なるものです。

《民数記 6:2-4》
「イスラエル人に告げて言え。男または女が主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、
ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも干したものも食べてはならない。
彼のナジル人としての聖別の期間には、ぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。

ナジル人の誓願とは、特別に自分を神のものとしてささげ、聖別する誓願です。ここで主はご自身をそのように父なる神にささげました。この後文字通り十字架の上に、ご自身を、唯一父なる神を満足させる、完全なるささげ物としてささげられました。
ご自身を聖別し、同時にこの血で立てられる杯により私達を聖別するために。

《ヨハネ 17:17-19》
真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。
わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。

主は私達をどれほどの思いでこの地上に残し(遣わし)、天に帰られたことでしょう。そして、ご自身と共に私達を聖なるものとすることがどれほどの悲願であったでしょう。

《レビ記 19:2》
イスラエル人の全会衆 に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。

主が「わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日まで」と言われているのは、黙示録の最後に書かれている婚宴の時であり、この婚宴は花婿イエスキリストと花嫁である私達教会との結婚の時を指します。
その時まで、私達をご自身にふさわしいように、ご自身が聖であるように、聖としようとされたのです。
その日まで主はナジル人の誓願を続けられるというのです。
私達花嫁を迎えるため、ふさわしい花嫁とするため、主はご自身のすべてをささげ尽くして私達に備えを与え、ご自身と同じ姿にまで変えてくださろうと私達を引き上げてくださろうというのです。

《2コリント 3:16,17,18》
しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる 主の働きによるのです。

神の子イエスキリストと同じかたちにです。何と恐れ多いことでしょう。罪人でしかなかった私達を栄光から栄光へと鏡のように主の栄光を反映させながら、そのような姿に変えるというのです。主は私達をどれほど愛しておられるというのでしょう。
そのための誓願を主は、花嫁として私達を迎えるその日まで続けられるというのです。どれほどの思いがそこに込められているのでしょうか。
私達が聖餐を重ね、この杯を重ねる度に、主の聖なるものとして、栄光の似姿に変えられて行くことを心から望んで止みません。
主のこの深い思いを、あなたはどれほど受け止めていますか?


主よ。あなたには私がどのようなものとして映っているのでしょうか?この塵に過ぎない者をどれほど愛しているというのでしょうか?なぜそれほど私を愛してくださるのでしょうか?それをあなたに直接うかがえるその日まで、天でお会いできるその日まで、あなたの愛のままに、私をあなたにふさわしく変えてくださいますように。ただあなたの御前に私を置いてください。あなたの栄光を日々映すために。ただあなたを愛するために。