人生が自分の力で何とかなると思っている人は自分を弱い人間だとはなかなか思いません。むしろ自分の人生を、ある程度自分の力でしっかり歩んでいると考えていることでしょう。
それを美徳と考える社会の中に私たちは生きてきました。
だから、人には人生に大きな失敗をしたり、疲れ切ってしまったり、自分の弱さに立ち上がることができなくなってしまったりすることがあるということをこの社会は無視して進んで来ました。あたかも勝者と敗者を分けて人の人生を見るような傾向の中で、大切な人のいのちを、生活を、切り捨てて進んで来たことが本当に美徳と言って良いことだったのでしょうか。あたかも勝者を装うこのような愛の冷え切った社会に未来があると言えるでしょうか。この社会は本当に勝者なのでしょうか。実はそのような勝者は、本当は誰もいないのではないでしょうか。仮想の競争社会の中で、互いに退け、戦い合って、気がつけば傷ついて、たった独りで、疲れ切って・
・・。
人は強い生き物ではない。人はそんなに全能ではない。
あなたが立ち上がれないのは悪いことではありません。
あなたが疲れ切って、明日を考えられないのもダメなことではありません。
どうかあなた自身を必要のない存在のように考えないでください。
あなたがただあなたとして、生きて存在していることがどれほど尊く大切なことであるのか、もう一度あなたに知って欲しいのです。
疲れたら心の底から休む場所が、人生の重荷が重いならその重荷を降ろすところが、あなたには必要なだけなのです。
だから・・・。

あなたの知らない愛があります。
そこから始めればいいじゃないですか。

《新約聖書 マタイの福音書 11:28-30》
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
※わたし=イエスキリスト

イエスキリストはあなたを待っています。
あなたの帰る場所として。
イエスキリストはあなたを愛しています。
あなたの始まりの場所となるために。


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