初めに、神が天と地を創造した。
旧約聖書 創世記 1:1

この言葉を信じるか信じないかによって、人生は大きく方向を変えます。
私たちがクリスチャンになるまではこのようなことを仮に想像することはあっても、その本質的なものは何も知らず、また信じるようなことなどはしなかったでしょう。しかし私たちはその事実の深みを知れば知るほど人生がこの神によって豊かに彩られていきます。
だからこそ、聖書のはじめにあるこの真理は重要であり、信じるに値するものです。始めに神がおられ、そして神がすべてのものを創造しました。すべてのものはこの神に造られた被造物です。この創造主こそ、唯一の神であり、他に神と呼ばれることをゆるされた存在などありはしません。すべてのものの創造主こそがすべてのものを統べ治めるのにふさわしき方。始まりであり終わりである方。有って有られるとの名を持たれる、この方の存在がなければ、すべてのものが存在する根源、その存在理由を失うのです。これこそ神と言われる方です。むしろ、被造物が神を名乗るのであれば、それはあまりに陳腐なものであり、また自らを高ぶらせ権力の頂点に立
ちたいのみの高慢さから神に逆らう者であり、そこにすべてのものを治める力も愛も正義も公平も微塵もないにも関わらず高ぶるもの、誰に対立して神を名乗ろうとしているのか、その高慢は神の前に低められ、恥じ入るものなのです。
そう、この圧倒的神が私たちの神です。この圧倒的事実を前に私たちはひれ伏すのです。すべての被造物はこの方が臨まれ、この方が恵みを与え食物を与え日々生かしてくださるのを待ち望んで生き、そしてその素晴らしきにこの方を喜びほめたたえて生きているのです。すべての被造物は神のものです。人もそれに漏れることはありません。だからこそ、この天地万物を創造され、すべてを統べ治められる、王の王、主の主であられる神のご支配の下に生きることは、私たちの根源的に重要なことなのです。
信仰は、この神を私自身のすべての根源に、すべての根拠に、すべてのことの始まりにおき、この方の下に行くときこの方がすべてを報いてくださることを信じることです。私たちの生まれながらの性質(肉)は私たち自身を生かすために、私たち自身を根拠として生きようとします。誤ってはいけません。この創造主が私たちの始まりとなり終りとなられるのです。それは私たちの生きるすべての部分においてであり、片時もそこから漏れことなど本来ありはしないのです。

「初めに、神が天と地を創造した。」
あなたはそのことを信じますか?

主よ。あなたは私を創造された方。あなたは私の計り知れないすべてを知られ、すべてを愛し、すべての最善を常に新しく造り出してくださる方。あなたが私の唯一の神。私はあなたを信じます。私の全時間はあなたが造られたもの、あなたの私のために立てられたすべての計画は、私の全人生の中に完成されるのです。何たる愛でしょうか。何たる恵みでしょうか。私のすべてはあなたの御手の中にあるのです。あなたこそ、私の神です。どうぞ、とこしえにあなたを信じさせてください。


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