ffb1794f.jpg一昨日は幸いの洗礼記念日。昨日も幸いの一日でした。
これまで神様から新たな歩みが新橋で始まるという思いを一年ほど前から与えられていたこともあって、その新たな一歩のことをずっと考えていました。それがこの洗礼の記念を境に、なぜか、何かここまでで1周が終わって、さあこれから新たに出発だ!という気分が訳もなくしています。
というわけで、感慨深く、昨日はこれまでの歩みを振り返り、また新たな歩みに思いを馳せつつ、新橋に行ってきました。
この一周が終わったという感覚を得るまではなぜか新橋に足を踏み入られないような、不思議な感覚で、暖かくなって路傍伝道にちょうどよい季節に入ってからも、ずっと新橋での活動から遠のいていました。何か新橋に新たに踏み入れるためには、これまでのことを一旦置いて、新たな志しが必要なような気がしていたというのでしょうか。
ですので、このような思いのうちに、今日久々に行った新橋は何とも言えないものでした。
そして、これまで伝道をして来た場所全部に足を運ぶと、いろいろなことが思い出され、何もない私をよく神様は導いてくださったと、ただ神への感謝で胸がいっぱいになりました。何せ洗礼を受けてからすぐ新橋で路傍伝道を始めたわけですから、私には何もないのが当たり前でした。ですから、すべてはただただ神様の栄光なのです。ただ神様の奇跡なのです。それは私自身が一番知ること。その凄さに言葉を失っていました。
さらに驚くべきことは、何もない私はただ神様が私に語ってくださった約束だけを握りしめ、ひたすら新橋に通ったのですが、このはじめの約束のすべては今や叶えられ、私の目は確かにそれらを見たということなのです。その当時の私には奇想天外、そんなことなるはずないと人の目には思わしきものでしたが、主はそのすべてを私によってではなくご自身の御手により成し遂げられたのです。
なんと素晴らしい神の恵み深さでしょうか。だからこそ、今の私に与えられている途方もないように見えている約束もすべて主によって成就されると確信できるのです。
そうしたことを思いながら、感謝とともに、神のみこころがなるように、ゆっくり祈ることのできた良い一日でした。

この国の上に主が豊かに望まれ、私たちに約束されている祝福が回復されますように。

ちなみに、写真は昨日の新橋です。伝道にはふさわしくない、広場で日本全国の物産展というイベントが開催されていたのですが、それがかえって幸いして、ゆっくり神様の前に祈り親しく交わる時間を与えていただけました。

感謝♪