どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、
教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。
新約聖書 エペソ人への手紙 3:20-21

神は私たちに、神との永遠の歩み中で(この地上での歩みを含めて)、あらゆるものを神に求めることを、またその求めをご自身の豊かさをもって豊かに満たすことを、またそのことによって私たちが神を喜びまた神を讃美することを、この上ないの喜びとされます。ですから、私たちがあらゆることを神に求めることは私たちの本来の姿であり、神に造られた者(被造物)としてふさわしいことです。
しかし、私たちがその願いを神に祈り求めるとき、私たちは神がいったいどのような方なのかということを知らないがために、その願いが叶えられるか叶えられないかだとか、かろうじて叶えられたなどという、神という存在を、私たちの理解の範囲の中に閉じ込めてしまうようなことを、得てして、してしまいしがちです。
またその願いをこのような方法でこのようにして満たして欲しいとか、条件付けまでして祈ったり、これとこれがこのようになればよいのだけれど…などと言いながら、日々のつまり目先の必要に目を奪われ、神が本来与えようとしておられる大いなる恵みや抜本的な解決となるであろう大胆な御手の働きなどを遠ざけてしまっていることがあります。
そのようなとき、私たちは私たちの祈りの中でさえ、その願望を自ら想像しうる範囲の中に入れ、自らの手でつかみ、自分には本当は何が必要なのかさえわからないのに、小さい範囲の低い目線で得た近視眼的な視野の中に神の働きを閉じ込め、神が本来与えようとされているものを退けて祈っていることさえあるのです。
神は私たちの求めをまた思うところのいっさいを、はるかに超えてかなえて下さることのできる方なのです。その範囲は私たちの想像、理解の範囲をはるかに超えるもの、この神の思いは私たちの思いを超えてはるかに高く完全です。私たちの求めや思いが不完全であっても、この方が成し、私たちに与えられるものは完全なのです。それは最善、それは最良、なぜなら神のご性質は善そのもの、愛そのもの、義そのものだからです。神は最も良きもの以外をご自身の性質上、与えることができない方なのです。
あなたは神を小さくしていませんか?
神の働かれる力を小さいものとしていませんか?
神を、そして神のご性質を疑ってあるいは誤解していませんか?
具体的に神の前に問題を祈りとして注ぎ出すことは大切なことです。しかしそれをどのような方法で、どのような結果をと、自らの手に、常識に、握り締めて祈りすぎていないでしょうか。
最善をなされる神にすべてを完全に委ねてみませんか。神の方法、神の御業、大いなる神ご自身を求めて、遥かに大きな、理解も想像もできないあなたに与えられるべき大いなるものを、自分の祈りを神の御手にすべて委ね切って祈ってみませんか?
そのときあなたは、そこにすべてを超えた圧倒的な神の現われを見るはずです。主の御名はほむべきかな。

《エペソ人への手紙 1:19-21》
また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。
神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、
彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。

主よ。あなたを教えてください。あなたがどのよ方であり、私たちに向けられる思いがいかに大きなものであるのか、私たちのうちに働くあなたの力がいかに莫大なものなのか、あなたの与えられる豊かさがいかなるものなのか、絶え間なく注がれる愛の広さ、長さ、高さ、深さを、教えてください。私はまだあなたを知りません。私自身を知りません。あなたの愛をまだ知り尽くしていません。主よ。どうぞ、真理によって導いてください。ただ私たちのうちに、その不足欠乏悩み問題あらゆる欠けのうちに、全能なるあなたご自身を現してください。あなたの栄光が輝くために。あなたの御名が高く掲げられるために。


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