何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
新約聖書 第一ヨハネ 5:14

私たちを十字架によって贖って(買い取って)くださったイエス様は、そのことによって私たちを神の元に帰してくださいました。私たちは神様のものとして造られ、そもそも神様のもの(所有)であったのです。ですから、私たちの帰る場所は、神のものという私たちの場所です。そこにイエス様は私たちを帰してくれたのです。
この場所こそ、自分で自分の命を何とかしようという無限の苦しみから解放される場所。そして、神の喜びが私の喜び、神のご満足が私を満たす、神こそわがすべて、私の喜びを神はこの上なく喜んでくださる。という場所。この神とひとつとされる関係がこの場所にあるのです。
ひとつとなる関係、ひとつとなる喜び、ひとつとなる思い。ここにみこころと私たちの祈りは一致します。
神のみこころは何ですか?その祈りしか聞かれないのですか?と悲嘆することはありません。
このように、私たちが神のものとして、自分のすべてを神にゆだねて生きるなら、全知全能であり無限であられる神のみこころは私たちの想像をはるかに凌駕するほど広く、この方の愛は限りなく広いからこそ、このように神の前に無に等しいほど小さい私の思いを祈りを神とひとつのものとしてくださる、引き上げてくださるのです。
そして、そのとき神はみこころを大胆に成し遂げてくださるのです。ご自身の義のゆえに。
このことはすべてのことに対して、神によって、私たちに確信を得させます。揺るぐことのない確信を得るのです。大胆にともに祈りましょう。

主よ。ご覧ください。私は塵に等しく無に等しいもの。私には何もありません。しかし、あなたの十字架の贖いにより、私はあなたのものとされました。あなたは完全なる方。あなたのものである私の欠けも、足りなさも、満たさないではおれない方、痛みも苦しみも喜びに変えないではおれない方、悲しみを涙を笑いに変えないではおれない方・・・。あなたの無限の愛に押し潰されそうです。感謝します。あなたは私のこの小さな祈りをあなたのみこころとしてくださること、その畏れ多さにおののくばかりです。そしてすべてはあなたの御手のうちに成し遂げられました。感謝します。ただこの目がその栄光を見、この全身全霊が主を讃えて止まないように。
ただ主の御名のゆえにただ御名が高く掲げられますように


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