三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
新約聖書 マタイ 27:46

十字架の上でイエスはこのように叫ばれました。
神の御子なる方が神に見捨てられる。このありえない事実が今や私達の真の希望となりました。
この方が見捨てられたからこそ、私達は永遠にそしていかなる時も、神に見捨てられることはないのです。
私達が十字架を仰ぐとき、そこには私達自身の姿が重なります。
彼の死は私達の死であり、だから彼のよみがえりが私達のよみがえりとなったのです。
彼の死が私達の永遠の命となりました
彼の負ったさばきは本来私達の追うべきさばきでした。神は私達の罪のため、罪を知らない方を罪とされ、彼は永遠の滅びを身に負われました。
そして、そのことによって私達は神の前に義(罪なし)とされました。ここに私達の罪は神の義と変えられたのです。
彼の打ち傷が私達を癒し、彼の貧しさが私達を富む者とされたのです。
すべては十字架の上でなされた御業。この十字架が私達自身のものとして、イエスキリストの姿と重なった時、初めて私達は救いの本質を知りまた受け取ることになるのです。
だからこそ、私達は今日も十字架を見上げ、そこにイエスの御姿と自分の姿を見るのです。
私達を囲む現実は確かに決して軽いものではないかも知れません。この国の状況は3月11日を境にたった一日で激変し、その後に待つ日本の将来を人の目で見るのであれば、希望を見出すのは難しいように見えるかもしれません。
ある人は悲しみの中、悩みの中、苦しみの中、絶望しそうになるかも知れません。
神に見捨てられてしまったのかと、現実を、自分の姿を見て嘆くこともあるかも知れません。
しかし、この見捨てられた神の姿を見てください。だからあなたは神に見捨てられることはないのです。
神の痛みの姿を見てください。だからあなたの痛みは癒されるのです。
十字架の上のイエスの死の姿を見てください。だからあなたはよみがえるのです。
永遠に消えることのない、信仰と希望と愛はここに顕されているのです。
これは決して変わることがないのです。
さあ、共に十字架を見上げましょう。

主よ。ただあなたの十字架の愛に感謝します。あなたは私に何一つよらず、その十字架の御業を私の内に完成してくださいました。これは天地が滅びようとも揺るぐことのない事実。私はこの十字架を私の唯一の避け所とします。全ての希望はここに溢れ、全てのものがここに備えられているからです。私をとこしえに愛してくださるあなたの深い愛をこの御姿に見上げます。私は、あなたととこしえに一つとされたこの十字架の上に、永遠の幸いを見出します。だから主よ。心からあなたに感謝します。だから主よ。あなたにのみ栄光が帰されますように。



『一発逆転』人生塾
http://119.go2.jp
今日のかて
http://j119.go2.jp