『一発逆転』通信

あなたの生活に豊かな彩を・・・ Jesus, You're the Center of my joy.

2010年12月

『一発逆転』人生塾 vol.62

「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
新約聖書 マタイの福音書 1:23

誰でも世(世界・社会)が真っ暗に見え、また自分の足元までも暗く目に映るのであれば、希望の光を探すのは当たり前です。誰でも自分の人生を導く光輝く星を、真っ暗な夜空に探すでしょう。
これまでの社会は自分の実力や持ち物、お金や身分や地位などを頼りに生きてきたでしょう。そこにこそ確かな希望があるかのように社会構造は作られてきましたし、そのような常識の中に私達は生まれ、その中で日々生活してきました。社会はある道筋に沿えば、盤石に私達を守ってくれると思われていたのです。ですから、それを覆すような時代に遭遇した時、誰もが希望はどこにあるのかと、混乱することでしょう。
現在、世界中を襲う未曾有の経済危機と、歴史上稀と言われる災害や異常気象の数々、その中で飛び交う憶測と混乱した情報。人類の終末をも語られる時代の真っ只中で、人間の力ではどうにもできない圧倒的な死の恐怖が私達の日常に入り込んできている毎日。これこそ、暗い夜空に違いありません。
だからこそ、あなたは本当にあなたの人生を導く希望の星が、どこにあるのかを知らなければなりません。もしもあなたがその星を見誤らないのであれば、あなたは永遠に至るまでの真の希望にたどり着くことは可能です。
かつて、ソロモン王国時代に栄華を極めた一大王国イスラエル。やがてイスラエルは没落し、ローマに支配されていた暗黒の時代、人々は一つの約束を希望に生きていました。重い税義務、払えなければ娘息子をも債務のため連れて行かれる。国を奪われ、違う民族に隷属される生活。そんな過酷な状況の中、抱き続け心を支え続けた希望。
"私達に真の救いを与える、救い主が地上に降られる。"
それはいにしえからの預言に語り伝えられていることでした。
そして預言はそのまま、ベツレヘムの小さな家畜小屋に生まれた救い主イエスキリストの降誕という形で成就したのです。その誕生を知らされ、その救い主に出会えたのは、社会のエリートや成功者、強い者達、大きい者達、偉い者達ではありませんでした。
当時過酷な生活を強いられ、貧しく、社会から離れた場所に生活を余儀なくされていた、社会的に最も小さな存在というべき人々。つまり、最も暗い人生を歩んでいたであろう羊飼い達に、この幸いの知らせは御使いによって伝えられました。また、当時考えられていた救いの対象はイスラエルの民とばかり思われていましたが、東のイスラエルではない異邦の国に住む博士(おそらく天文学者など)に、その事実は知られ、はるばる遠く離れた国から彼等は救い主を求めてイスラエルに向かったのです。
彼等を救い主の元に導いたのはまさしく天に輝く一つの星でした。その星のとどまったところで彼らは救い主に出会ったのです。
彼こそ、最も弱く最も小さく最も貧しく傷つき最も汚れた(罪深き)者達に救いを与えるため、そのすべてを負うべく、最も低く最も貧しい最も汚く最も暗い場所に生まれた救い主イエスキリストです。その生涯を私たちの苦しみ悩みを背負い、十字架にすべての罪から来る死という報酬を釘付けにするまで、命をささげた神。彼は十字架に死した後、三日目に死に打ち勝たれた真の勝利者としてよみがえられた(復活された)のです。
そして、この救い主の誕生を祝う祭こそがクリスマスなのです。
この救いは時代を超え、今私達に与えられています。
救い主イエスキリストは今も生きて、私達の人生を直接救う神なのです。イエスキリストを信じ受け入れる者達に、この救いは与えられるのです。どれ程弱く、小さく、貧しく、傷つき、汚れて(罪深く)いたとしても。彼の十字架は彼を信じ受け入れる者達のそれらすべてを釘づけにし、信じる者に新しいご自身の命を与えられるのです。過去はその命の代価に贖われ(買い取られ)、永遠の未来に至るまでの"永遠の命"が与えられ、死をも超える永遠の希望が与えられるのです。多くのキリストを信じる者達は、その偉大な価値のゆえに、肉体の死をも恐れず、永遠の命に生きました。死の恐怖に捕らえられる事なく、自由に生き、彼等をとどめる者はこの地
上には存在しなかったのです。つまり、今生きる現在において死を超える勝利者となったのです。
あなたが主イエスキリストを信じ受け入れる時、このような過去・現在・未来が与えられる真の希望を与えられるのです。それはあらゆる環境・状況・法則を超えて、与えられるもの、それを得た時この世では与えられることのない、神からしか受け取ることのできない深い平安を与えられるのです。
これが神が私達に与えてくれた本当のクリスマスプレゼントです。
今年あなたがこの最大のクリスマスプレゼントを受け取ることできますように。

ひとつのねがい

73c6c87b.jpgあの日君と夜空の星を数えた夜
僕は本当は希望に導く星を探していたんだ
だから僕は今も
こんな夜空が真っ暗になってしまっても
ただ一つ輝くはずの希望の星を探してる
君と僕の未来に光があるように

《マタイの福音書 1:23》
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
《マタイの福音書 2:9》
見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。

今日のかて ヨハネ 1:14,16-18

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
・・・中略・・・
私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
新約聖書 ヨハネの福音書 1:14,16-18

主イエスキリスト、救い主なる方が地上に降られたことは言葉に尽くせない神の尊大な計画であり揺るぐことのない真実です。それまでの時代の多くの預言者や義人たちはどんなにそれを見たいと切に願っても、それを見られませんでした。主が地上に住まわれるなど、つまり永遠であり、無限であり、天地を創造し今も保たれる神である方をお迎えできる場所などこの地上にはない、ありえないことだったからです。しかし主はそのことを事実とするため、豊かさに満ち溢れた神の御子なる神である方が、そのすべてを捨てられ、有限である人間の肉体の中に、それもすべての人々を救うために最も貧しい者の姿をとって、この地上に住まわれました。「私たちの
間に住まわれた(14節)」の言葉は本来は私たちの間に幕屋を張られたという意味です。幕屋こそ神の住まう場所、地上を寄留者のように歩むための移動式の神殿、キリストはそのように人なり地上に住まわれたのです。
そうです。神の統治がこの地に来たのです。直接の統治、神の国はこのように近づいたのです。それまでの時代と一線を画す事実が、ここにあるのです。
神を見た者はいませんが、御子なる神のみが神をあらわし、そのことによって私たちは初めて神を見ることをゆるされました。地上に住まわれたキリストの姿、語られた御言葉、十字架の死とよみがえりに、私たちは初めて神をリアルに事実として知ることができるのです。
さらに驚くべきは、その後天に上げられ神の右の座に着かれましたが、そのことによって私たちの内に聖霊なる神が降り注ぎ住まわれたのです。キリストご自身、キリストのいのち、創造主なる父なる神、この三位一体の神が、この聖霊が住まうということによって、私たちの内に幕屋を張られたのです。

《コリント人への手紙? 6:16》
私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

何と驚くべきことを神はなされたのでしょうか。
何と畏るべきものを私たちに与えてくださったのでしょうか。
何と言う愛でしょうか。ご自身を与えて、私たちをこのような者としてくださるとは。
主はご自身の命によって私たちを統べ治めるということにより、私たちを神の国に入れてくださったのです。御子を与えてくださったことにより私たちは父からすべてのものが与えられ(ローマ 8:32)、受け継ぐべき相続地である新しい天と地(天国)を入れるばかりか与えられているのです(
エペソ 1:14)。

《ローマ人への手紙 8:32》
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
《エペソ人への手紙 1:14》
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。

クリスマスは主イエスキリストの降誕を想い、祝う日です。クリスマスプレゼントを交換するだけの日でないことは、私たちは充分承知でしょう。この地上のささやかな栄光や豊かさを求めて、主の降誕を地に引き落とすことがないよう、私たちもこの地上のものに引き下げられて、私たちが本来神から与えられている永遠の宝を失うことがないように、心から願います。終末の時代は聖徒をも惑わす背教の時代です。ひとたび信仰を見つめ直して参りましょう。


主よ。あなたのあわれみは愛は尽きることがありません。あなたが与えてくださった豊かさは日々溢れています。あなたの命は今日も私を生かしています。そしてこの死ぬはずであった者が、いや死んでいた者が永遠に生きるものとされているのです。それはただあなたの流された血によるものです。あなたの払われた代価のあまりの大きさとそれにより与えられている永遠の宝に私は今日も声を失います。ただ主を讃えます。すべてはあなたの栄光のゆえに。ただ主を讃えます。私たちをあなたの命によって統べ治めてください。


『一発逆転』人生塾
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今日のかて
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今日のかて ヨハネ 1:9-13

すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
新約聖書 ヨハネの福音書 1:9-13

主イエスキリストの誕生を祝うクリスマス。それを待ち望む40日間、今はそのアドベント(待降節)の時期にあります。私たちが主を待ち望むのはすでにこの地に生まれて下さったキリストの降誕に思いを巡らすと同時に、やがて私たちキリストの花嫁を迎えに花婿キリストがこの地に来られる日を待ち望む思いとも重なるものではないでしょうか。
しかし、最初にイエスキリストが地上に降られたとき、彼は彼の民(私たち)に拒絶され、その人生すべてを通して人々に拒絶され続け、十字架にまでかけられ地から除かれたのです。確かにそのことによって、贖いの御業は完成し、私達はそのことによって救いの恵みに預かっています。けれども、同時に主がどれほどに私たちを求め私たちに渇いておられたのかを今強く思うのです。
愛され迎えられるべき方が、そのご自分の民に拒絶をされる。愛されるべき者が愛されない悲しみと渇き。
十字架の上で「わたしは渇く。(ルカ 19:28)」と言われた主の私たちを求める声が胸に刺さるのです。
私達はどれほどに彼を愛しているでしょうか?
彼の渇きを潤すほどに彼を愛しているでしょうか?
彼が命を私たちに与え私たちを愛したほどに、彼を求め愛しているのでしょうか?
愛されるべき花婿に私たち花嫁は形だけの冷え切った愛をささげていないでしょうか?

主の降誕を思い待ち望むこのとき、ひとたびやがて来られる花婿なる主の、今も私たちに向けられておられる深い渇きを覚えて、主を心から待ち望みたいと思います。

主よ。私達はあなたの花嫁。あなたのものです。あなたが一心に渇き求めておられる私たち自身を、あなたにおささげしたく願います。 どうか私たちをあなたの花嫁としてふさわしいように整
えてください。ただあなただけを愛する者として、無垢な愛を育んで下さいますように。やがて花婿なるあなたが私たちを迎えてくださる、そのことを希望にただあなたをこい慕い、待ち望みます。アーメン主イエスよ。来たりませ。
プロフィール
Taka♪

新橋駅前広場にて、人生の真実を叫び続ける伝道者、ストリートメッセンジャーのTaka♪です。
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