そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
新約聖書 マタイの福音書 24:4-8

8月という月は日本にとっては特別な月です。先日15日には終戦記念日を迎え、平和を考える大切な月となりました。今年で65回目の終戦記念日。日本はここまで平和に守られ、つまりは世界的にも同様の年月大きな大戦がなかったのだということがわかります。
しかし、長く平和が続くことがこれからも平和であるということには繋がりません。
むしろ、戦争の噂が日々聞こえるようになりました(日本のニュースメディアにはほとんど情報は流れていませんが)。恐慌という名の世界的な飢饉は現実のものとなっています。先の世界大戦の時もそうでしたが、恐慌と戦争の話は大いに関係が深いと言われ、その火種は私たちのわからないところで知らぬ間に始まっているかも知れません。これまでの歴史は隠された戦争への流れを教えてくれています。私たちは平和を作る者として、真剣に祈るべき時が実は迫って来ていると言えるのです。
さらに、続く世界各地での天候異変と大きな地震、山火事、油田爆発事故、洪水。この一年、いや数ヶ月でも世界は大きく揺れ動いています。
眠り続けることが平和とは決して言えません。
そして、これらのことから終わりの日が近いことを私たちは自覚する必要性があるのです。
だからと言って、聖書はいたずらに恐れることを望んで語っていません。むしろ、このときこそ私たちは信仰の堅い岩の上に立ち、どのように生きるべきかを真剣に見つめ返す必要があります。
終わりの日とは、これまでの古い創造が終わりを迎え、新しい創造による新しい天と地に変わる時を意味します。私たちは段階を経て、古い創造からこの新しい創造に突入して行きます。だからこそ、今ある時代のように世界中が揺れ動き、天地は振るわれ、やがて審判の日を経て新しい創造に入るのです。
しかし、驚くべきことに私たちは、すでにイエスキリストの十字架の御業により、この新しい創造が私たちのうちに始められているのです。

《ガラテヤ人への手紙 6:14,15》
この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。
…中略…大事なのは新しい創造です。

ですから、新しく造られた私たちは、目に映り、耳に聞こえ、心に移ろい行くに過ぎない、やがて滅び行くものに心を留めることなく、信仰によって、見るべき目に見えないものを見つめながら、主の勝利と栄光を確信し、永遠に変ることのない方がやがて王として、裁き主として再び来られる方を、また万物が一新される素晴らしき日を、待ち望むのです。

《ペテロの手紙 3:9-14》
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。

どうか、終わりの日が近き今、ただいたずらに恐れるのではなく、主が私たちの心に触れて、真理を悟らせ、再臨への信仰を与え、生きるべき道のりに導いてくださいますように。私たちはこのように終わりの日に向って、あなたと共に地を治める者、平和を作る者として立てられていますから、あなたの御旨にあって、祈る者として下さい。主のやがて来る重い栄光の日々を心から喜び待ち望みつつ。


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