『一発逆転』通信

あなたの生活に豊かな彩を・・・ Jesus, You're the Center of my joy.

2010年07月

今日のかて ヨハネ 9:1-3

またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
新約聖書 ヨハネ 9:1-3

絶望と希望は紙一重です。
人が困難と向き合う時、その現実をどのように捉えるかその視点がとても重要になります。否定的な言葉で悲観的に物事を考える。慎重に物事と向き合うのは良いのですが、目の前に迫る事実から目を離せないで、絶望することとは別です。
この絶望は人の心を捉え、心を死んだように苦しませ、生きる道が狭められたあるいは失われたかのようにさえ思わせ、神に不信を抱かせたり、時にはのろうことさえさせることもあります。しかし、これは大きな偽りです。
すべての困難が私たちを死と滅びの苦しみに近づけ導くもののように見せられているならば、つまりそのような視点に立つのであれば、その死の力の前に私たちは本来神から得るべき祝福を奪われ、敗北をするでしょう。
その敗北を理由をつけて、心に言い聞かせ、無理に受け入れようとする人さえいます。この偽りは巧妙で、時に聖書まで引用して不信を肯定化し、人に伝染させ、キリスト教会でさえまことしやかな偽りが蔓延し、ある種の絶望と神への不信に飲み込まれている教会を見かけることさえあります。
しかし、イエスキリストは明確に困難と神の栄光との関係を今日の御言葉で語っています。「神のわざがこの人に現われるため」。この視点に私たちは希望を見出すことができるのです。
不足、欠乏、渇き、貧しさ、乏しさ…、私たちを取り巻く困難に出くわした時こそ、これは神のわざの現されるための場所、この困難が神の栄光に満たされるための一つの空の器に過ぎないことを知ってください。神はご自身の豊かさで、このような私たちの欠け(空の器)を満たしたいと願っておられるのです。でなければ、神はご自身の比類なき尊き御子を私たちに与えてくださるはずがないではないですか。「ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。(ローマ8:32)」とある通りです。
神は私たちを造られた時から、私たちが塵にすぎない取るに足りない小さな存在であることを知り、神によって満たされなければ、生きることすらできない存在であることを充分に知っておられます。いや、むしろ創造主なる神だからこそ、私たちをご自身で満たしたいと切望され、そこに想像を超えた圧倒的な神ご自身の栄光を現し、私たちがそれを喜び、また神を喜び、神を讃え、私たちの唇から栄光をお受けになることを望んでおられるという事実を私たちはしっかりと知らなければなりません。
神ご自身が私たちの希望なのです。この希望は決して失望に終わるものではない、永遠に残るものです。人の力ではどうにもできない現実に出くわしたとき、それがいかなる環境、状況にあったとしても、この希望こそが私たちを生かすものとなるでしょう。
時は終わりの日を予見させる、終わりの時代です。私たちを永遠に生かす本当の希望を持って日々を歩んで行こうはありませんか。
この希望に立って一緒に祈っていきましょう。

主よ。私たちを見える者としてください。目に見えるものを見るのではなく、見えないものを見、本当の希望を見る、見える者としてください。時はこれまでの平穏とは異なる様相を呈して来ています。この希望だけが、真実を見通し、時のしるしを見遠し、私たちの生きるべき道を見通させるでしょう。あなたのみこころを見させてください。偽りの視点をこの希望により退ける者としてください。どうか私たちをこの希望をもって、私たちのすべての歩みをあなたの栄光を現す器として差し出す者、ささげる者としてください。あなたの栄光が私たちに輝き溢れ、私たちの讃美をもって、あなたが私たちの唇から栄光をお受けになりますように。
すべてを善きに導いてくださる主にすべてをゆだねます。


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夕立ち

『夕立ち』

たとえば夏のどうしようもない暑さの中で
突然スコールのような夕立が
汗と埃臭さとともにすべてを洗い流し
なす術をなくした私たちを生き返らせるように
圧倒的な神の愛は私たちに降り注ぎ
どうしようもなくなってしまった私たちの人生を
洗いざらしの亜麻布のように真っ白に
真新しいものへと生まれ変わらせてくれる
それは日々に及んで新しい

ああ だから約束の虹が
ほら 空にかかってる


《コリント人への手紙? 5:17》
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。


終わりなき戦争

「終わりなき戦争」

許されるはずのない悪と善の調和
あるはずのない存在の虚像
偽りの善が隊列する足音と共に
世界を破壊の振動に巻き込んで行く

残されたものは血と涙
逃れることのできない死が
そこに真実がないことを物語る
人の善の耐えられない軽さに
神は何を思うのか


《詩篇 53 篇》
愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき不義をおこなった。善を行う者はない。
神は天から人の子を見おろして、賢い者、神を尋ね求める者があるかないかを見られた。
彼らは皆そむき、みなひとしく堕落した。善を行う者はない、ひとりもない。
悪を行う者は悟りがないのか。彼らは物食うようにわが民を食らい、また神を呼ぶことをしない。
彼らは恐るべきことのない時に大いに恐れた。神はよこしまな者の骨を散らされるからである。神が彼らを捨てられるので、彼らは恥をこうむるであろう。
どうか、シオンからイスラエルの救が出るように。神がその民の繁栄を回復される時、ヤコブは喜び、イスラエルは楽しむであろう。

『一発逆転』人生塾 vol.61

人生が自分の力で何とかなると思っている人は自分を弱い人間だとはなかなか思いません。むしろ自分の人生を、ある程度自分の力でしっかり歩んでいると考えていることでしょう。
それを美徳と考える社会の中に私たちは生きてきました。
だから、人には人生に大きな失敗をしたり、疲れ切ってしまったり、自分の弱さに立ち上がることができなくなってしまったりすることがあるということをこの社会は無視して進んで来ました。あたかも勝者と敗者を分けて人の人生を見るような傾向の中で、大切な人のいのちを、生活を、切り捨てて進んで来たことが本当に美徳と言って良いことだったのでしょうか。あたかも勝者を装うこのような愛の冷え切った社会に未来があると言えるでしょうか。この社会は本当に勝者なのでしょうか。実はそのような勝者は、本当は誰もいないのではないでしょうか。仮想の競争社会の中で、互いに退け、戦い合って、気がつけば傷ついて、たった独りで、疲れ切って・
・・。
人は強い生き物ではない。人はそんなに全能ではない。
あなたが立ち上がれないのは悪いことではありません。
あなたが疲れ切って、明日を考えられないのもダメなことではありません。
どうかあなた自身を必要のない存在のように考えないでください。
あなたがただあなたとして、生きて存在していることがどれほど尊く大切なことであるのか、もう一度あなたに知って欲しいのです。
疲れたら心の底から休む場所が、人生の重荷が重いならその重荷を降ろすところが、あなたには必要なだけなのです。
だから・・・。

あなたの知らない愛があります。
そこから始めればいいじゃないですか。

《新約聖書 マタイの福音書 11:28-30》
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
※わたし=イエスキリスト

イエスキリストはあなたを待っています。
あなたの帰る場所として。
イエスキリストはあなたを愛しています。
あなたの始まりの場所となるために。


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今日のかて 詩篇 117:1-2

すべての国々よ。主をほめたたえよ。すべての民よ。主をほめ歌え。
その恵みは、私たちに大きく、主のまことはとこしえに至る。ハレルヤ。
旧約聖書 詩篇 117:1-2

あなたは、今日も神の恵みに満たされているでしょうか?
私たちは弱いもので、ともすると目の前の出来事や感情に一喜一憂し、すぐに受けた恵みそのものを忘れてしまいます。神様からの恵みを受けたその時は確かに私たちは喜び、その恵みに浸ることは容易でしょう。しかし、人は目に見えること、耳に聞こえることに弱いものです。その現実を前に神の恵み深さは消し飛び、気がつけば神へのつぶやきが唇をついて出る、そんな覚えはあなたにないでしょうか。
でも、ここで見つめていただきたいのは、目に見えずとも耳に聞こえずとも変わることのなく、もっと根源的に恵みを知り、満たされ、それを確固とした根拠として生きてゆくことです。永遠に変ることのない恵みの中に生きることです。そして、それを心に覚えるならば、私たちは周りの環境や現実に振り回され、波に揺られる小船のような信仰生活を送ることはないでしょう。

《ヨハネの福音書 1:16》
私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。

イエスキリストが、私たちに与えられたことは最良の恵みです。なぜなら、この方の中にすべてのものが包含されており、この充ち満ちた方そのものが、永遠の宝として私たちのうちに生きるという奇跡を私たちは受けているのです。
何という恵みでしょうか。神はすでに私たちの人生のあらゆる側面を、ご自身を与えることで満たしてしまったのですから。それは未来完了形の事実。まだ見ぬ未来においても、すべてはすでに、私たちに与えられたキリストにより満たされてしまったのです。
これは神からの一方的な恵みです。私たちの労働の対価であったり、私たちの何ものかによって得られるものではありません。そのようにして得るものは当然の結果として得られる「報酬」でしかありません。しかし、これらのすべては神の一方的な愛によって与えられたものです。ただイエスキリストを信じる信仰によって与えられたもの。私たちがどのようであったとしても、どのような状態に状況に陥ったとしても変ることなく、このイエスキリストを信じる信仰によって神から一方的に注がれるものが「恵み」なのです。
ですから、神の恵みは決して変ることなく、絶えることはありません。いつも神は私たちが恵みに満ち溢れることを望み、事実私たちはすでに与えられているキリストご自身という恵みの上に、さらに加えて日々恵みを受けているのです。
神の恵みを味わうことは人の本分です。そして私たちがこれを喜び、私たちの唇から讃美と栄光をお受けになるのを神は望んでおられるのです。これは神の喜びです。
そういうわけですから、私たちは神から恵みを受け取りましょう。神の御約束は永遠に変わることなく、御言葉はとこしえに変わることはありません。この御言葉に基づくなら、私たちは大胆に神から御恵みを受けることが出来ます。それを疑う必要はないのです。
多くの場合私たちは目に見えるもの、耳に聞こえることに頼りを置き、あるいはそれらに大きな影響を受けた感情や思考を元に、生きようとします。自分や周りの限られた情報や経験則を元に、事を対処しようとします。しかしそれは移ろいやすい人間に根拠を置くものであり、すぐに絶望と悲観の中に、神にある望みを閉じ込めようとします。自分の不信仰を何かしら尤もらしい理由付けをして、あきらめようとさえします。しかし、はっきり断言します。これらは偽りです。神の恵みを退け、受け取らせないようにする偽りはあなたに必要ありません。
聖書に書かれた神のどこまでも深い恵みは、あなたの中に、十字架の上に与えられたキリストという形で、あなたはすでに受け取ったではありませんか。そうです。イエスキリストのすべてをすでに受け取ったではありませんか。神の恵みはすでに成就しているのです。あなたを満たせない神の恵みなど存在しないのです。
どうか人の偽りを退け、キリストを信じる信仰により、御言葉の約束のまま、神の御恵みを受け取ってください。神を喜ぶために。神の喜びのために。

主よ。数え尽くせない恵み、想像も及ばず計り知ることの到底出来ない、あなたの恵みのゆえに感謝いたします。どれほどの愛を注ぎ、どれほどの恵みを私たちは与えられているのでしょう。それでもなおあなたにつぶやく私たちをお赦しください。どうかあなたの恵みを知る者としてください。そして、あなたの恵みを存分に受け取り、あなたを喜び、その生涯を通して、いやとこしえにあなたを讃える者としてください。私はそのためにあなたに造られたのですから。


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新橋駅前広場にて、人生の真実を叫び続ける伝道者、ストリートメッセンジャーのTaka♪です。
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