『一発逆転』通信

あなたの生活に豊かな彩を・・・ Jesus, You're the Center of my joy.

2010年04月

今日のかて 創世記 1:26-31

そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
ついで神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。
また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」すると、そのようになった。
そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。
旧約聖書 創世記 1:26-31

聖書の最初の部分、創世記には私たちの窺い知れない真実、神の天地万物を創造された様子が表されています。そこで私たちは神の始めのご計画と、そしてそこに込められた深い愛とを知ることができます。深遠な神のみこころの始めの愛を見ることができるのです。ここに神と私たちとの最初の関係があります。
神は天地万物を六日間かけて創造しましたが、人間をその最終段階に造られました。
それは私たちに何一つ欠けるものがなく困窮することがないように、すべての環境から、必要な食物、季節の移り変わりから、豊かな土地、ありとあらゆるものを完全な状況に備えた上での創造でした。全宇宙の調和から、地球のすべての環境、天文学的な調和から目に見ることのできない微細な世界の調和に至るまでありとあらゆるものを完全な秩序のうちに、奇跡的な調和を持って造られました。
私たちは特に意識もせず、何気なく毎日を変わりなく迎えていますが、このような神の御業の、気の遠くなるような積み重ねが保たれていなければ、本来明日を迎えることは出来ないのです。何一つ欠けるものがあっても、私たちは生きることができません。天文学的な確率の奇跡の上に私たちの明日が存在するのです。
何という愛でしょうか。
これらすべてのものを、私たちの努力には一切よらず、神がご自身の御手をもって、最初から私たちのために備えられたのです。
さらに、神は塵から造られたに過ぎない、小さな存在である私たちを特別に愛し、神に似せて造られ、それにより神と親しく交わることを可能たらしめる存在とされました。もっと驚くべきことは、神とともにこの地とこの地上のあらゆるものを治めるよう、神は人に命じておられるのです。
ここに神の人に対する始めから変わることのないみこころが現されています。
人はこの後、悪魔の誘惑を受けて罪を犯し、神から離れ、この地を治める権利を悪魔に奪われてしまいました。それにも関わらず、神はご自身の比類なき御子であられるイエスキリストをこの地上に遣わし、さらに十字架につけることにより、その罪から私たちを贖い、ご自分と私たちを和解させ、愛の関係のうちに戻し、またその十字架の御業により悪魔に勝利された、このキリストにあって、再び私たちを、神とともにこの地を治める者とされました。
そして、神はこの後のご計画として、完全に悪魔を退け、死を黄泉を滅ぼし、神による完全な統治を永遠に据えられるのです。その全貌は聖書の最後にある、黙示録に記されています。
主は私たちにご自身のすべてを与え、また共にすべてを治めることを望んでおられます。それは始めから変わらないことなのです。
どうでしょうか。私たちはあまりにも何かを手に入れるために必死に生きていないでしょうか。しかし、すべては与えられているのです。
すべての鍵は「神にあって(in Jesus Christ)」です。神から離れて得るものは何もありません。

主よ。あなたの眼差しで見させてください。あなたが与えてくださった私たちの人生。永遠の時間。それははるかに大きな視点であり、私たちには理解をはるかに超えたものです。しかし、その壮大なすべては、あなたにより私たちにすでに与えられており、すべてのことは成し遂げられているのです。どうか日々のひとつひとつの問題や日常から目を離せないでいるのではなく、すべてのものをあなたにあって、すでに得ている者としてください。どうか真理によって自由を得させてください。私たちの人生の日々のすべての事ごとに、主よ、あなたの栄光を輝かせてください。人々はその光を求めているのですから。


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ティーさんぽ♪

2c3fad87.jpg最近カメラを持ってお散歩するのが楽しい。何年ぶりだろう。こんな時間を持つのは・・・。
運動にはなるし、最適な気分転換になる。
ストレス抜きにはもってこいです。

で今日は結局途中でティータイムしてしまいました。

今日のかて マタイ 27:26-30

そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めた。
そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。
それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」
また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。
新約聖書 マタイの福音書 27:26-30

目を背けずに、見てください。
この卑しめられ、辱められた王の姿を。これがこの全地を治めるにふさわしき神、真の王、王の王イエスキリストの姿です。
およそ王に似つかわしくない、いばらの冠を被られたこの王こそ、へりくだられすべてを捨てて私たちの元へご自身から近づいてくださるために、もっとも卑しい者の姿となられた真の王です。
この世の王は、そのきらびやかさのうちに身を置こうとし、権力の頂点、その高き場所から人を支配しようとするものです。だからこそ、この真の王が自分の前に現れる時、多くの王達は真の王に逆らい、退けようとしました。それは聖書の中にも、また今も脈々と続く迫害の歴史の中にも、明白な事実として残されていることです。
そう、イエスキリストはその誕生の時から、地上の王ヘロデに退けようとされました。預言にあるユダヤ人の王として生まれるイエスを恐れ、ヘロデ王は誕生を預言された地ベツレヘム一帯の2歳以下の男の子を大量虐殺したのです。
自らの王座を真の王に奪われたくないと、殺してまで真の王を除こうとする罪人の姿。醜い王の姿がそこにあります。
しかし、これこそ、私たちの姿、この王が私たちの中に生きているのだということを、今私たちは知りたいと思うのです。真の王を退け、卑しめ、辱めたのは私達自身であることをこの中に見たいと思うのです。

《ガラテヤ人への手紙 5:17》
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

聖書はこの二人の王(肉と御霊)が私たちの中にいることをはっきりと語っています。真の王を自らの王座に着けまいと退けようとし葛藤する醜き王の姿。これこそ私達がキリスト者であっても抱える、生まれ持っての性質、肉の姿です。
だからこそ、「十字架につけよ」と叫び、真の王を十字架に追いやったのは私たちであるのに、この十字架を真の王が着くべき王座され、私達の救い主キリストは十字架にかけられたのです。ただ黙して、すべてをお受けになられたのです。
なぜなら、「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。(ローマ 8:13)」、「罪から来る報酬は死です。(ローマ人への手紙 6:23)」とある通り、私たちは当然死の報酬を支払うべきなのに、王なる主イエスはご自身の血をもって、その死をもって私達の命の代価を支払われたのです。本来神の裁きを受けるのは私たちなのに、永遠の滅びをその身に負って裁かれたのが十字架の姿です。私たちに代わって神の御子は、父にあの瞬間永遠に見捨てられたのです。
さらに、「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされ(コリント人への手紙 5:21)」たことによって私たちの罪を負わせられました。
罪に対して私たちが死ぬために、私たちを捕え奴隷とする罪の力を失わせるために、私たちはどうしてもキリストとともに、あの十字架にかけられ死ぬ必要性があったのです。
そうです。私たちはあの十字架の上に死んだのです。キリストと共に。
もはや、私たちを捕えるものはないのです。肉は情と欲と共に十字架にかけられ、罪も十字架の上に死んだのです。
古い私たちは死に、新しく生まれたのです。
私ではなく、キリスト。真の王をお迎えする時が来たのです。
ともに十字架を見上げましょう。

《イザヤ書 53:4-6》
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

主よ。ただ主の十字架の前にひざまづかせてください。ただそのあまりにも大いなる愛の前に、ひざまづかせてください。そしてあなたの十字架を私たちの内に刻んでください。永遠にあなたを愛するように。


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新橋駅前広場にて、人生の真実を叫び続ける伝道者、ストリートメッセンジャーのTaka♪です。
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