『一発逆転』通信

あなたの生活に豊かな彩を・・・ Jesus, You're the Center of my joy.

2010年02月

突然の春?

a2e072ec.jpg今日も突然暖かくなって、まるで春のよう。着込んだ服が暑そうです。
かく言う自分もキノコ栽培園になってしまったようです。
蒸し暑い・・・

聖なる関係

友とともに聖書を学ぶのは何と楽しいでしょう。
兄弟姉妹の交わりと言われるもの、神にある自然な関係、互いに分かち合う惠みに心から浸り、昨日も大満足でした。
これはやめられませんね。

今日のかて 創世記 1:1

初めに、神が天と地を創造した。
旧約聖書 創世記 1:1

この言葉を信じるか信じないかによって、人生は大きく方向を変えます。
私たちがクリスチャンになるまではこのようなことを仮に想像することはあっても、その本質的なものは何も知らず、また信じるようなことなどはしなかったでしょう。しかし私たちはその事実の深みを知れば知るほど人生がこの神によって豊かに彩られていきます。
だからこそ、聖書のはじめにあるこの真理は重要であり、信じるに値するものです。始めに神がおられ、そして神がすべてのものを創造しました。すべてのものはこの神に造られた被造物です。この創造主こそ、唯一の神であり、他に神と呼ばれることをゆるされた存在などありはしません。すべてのものの創造主こそがすべてのものを統べ治めるのにふさわしき方。始まりであり終わりである方。有って有られるとの名を持たれる、この方の存在がなければ、すべてのものが存在する根源、その存在理由を失うのです。これこそ神と言われる方です。むしろ、被造物が神を名乗るのであれば、それはあまりに陳腐なものであり、また自らを高ぶらせ権力の頂点に立
ちたいのみの高慢さから神に逆らう者であり、そこにすべてのものを治める力も愛も正義も公平も微塵もないにも関わらず高ぶるもの、誰に対立して神を名乗ろうとしているのか、その高慢は神の前に低められ、恥じ入るものなのです。
そう、この圧倒的神が私たちの神です。この圧倒的事実を前に私たちはひれ伏すのです。すべての被造物はこの方が臨まれ、この方が恵みを与え食物を与え日々生かしてくださるのを待ち望んで生き、そしてその素晴らしきにこの方を喜びほめたたえて生きているのです。すべての被造物は神のものです。人もそれに漏れることはありません。だからこそ、この天地万物を創造され、すべてを統べ治められる、王の王、主の主であられる神のご支配の下に生きることは、私たちの根源的に重要なことなのです。
信仰は、この神を私自身のすべての根源に、すべての根拠に、すべてのことの始まりにおき、この方の下に行くときこの方がすべてを報いてくださることを信じることです。私たちの生まれながらの性質(肉)は私たち自身を生かすために、私たち自身を根拠として生きようとします。誤ってはいけません。この創造主が私たちの始まりとなり終りとなられるのです。それは私たちの生きるすべての部分においてであり、片時もそこから漏れことなど本来ありはしないのです。

「初めに、神が天と地を創造した。」
あなたはそのことを信じますか?

主よ。あなたは私を創造された方。あなたは私の計り知れないすべてを知られ、すべてを愛し、すべての最善を常に新しく造り出してくださる方。あなたが私の唯一の神。私はあなたを信じます。私の全時間はあなたが造られたもの、あなたの私のために立てられたすべての計画は、私の全人生の中に完成されるのです。何たる愛でしょうか。何たる恵みでしょうか。私のすべてはあなたの御手の中にあるのです。あなたこそ、私の神です。どうぞ、とこしえにあなたを信じさせてください。


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今日のかて
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木曜は伝道の日

木曜は伝道の日。
勝手に決めてる感がありますが、神のあわれみにより何とか聖別された日を送らせていただいてます。
今日もメッセージ書いてました。
頭の中が言葉でうにうにです。その割に文章書くことが止まらず、オーバーヒート気味です。
こうして今日も夜が更けてゆくのです。

「白く塗り潰せ」

d1de9c66.jpg風花が舞い、僕をせつなくさせる
言いようのない罪悪感が
罪が汚れが墨のように黒く
血のようにどす黒く
僕を責め立てる
天は僕のすべてを知っているのか
僕を白く覆おうというのか
この花のひとひらひとひらが
僕の心に突き刺さっては溶けてゆく
この私を洗うように
この私を洗い流すように

《イザヤ書 1:18》
「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

Mr.ミスター「 キリエ 」の話

かつてMr.ミスター「 キリエ 」という曲が大ヒットしたのを記憶しています。「キリエ エレイソン(kyrie eleison)」「主よ、あわれみたまえ」(マタイ20:30、31)の意味を連呼していた曲でした。
そのとき僕はクリスチャンではなかったので、その内容には全く興味がなかったのですが、今考えてみるとそのような曲がヒットした(全米No.1だったと思う)ということは大変なことであったと言えます。
だってその結果、僕はそれを日本の歌番組で見て、なんとも言えない世界観にショックを受け、録音してしばらくウォークマンで聞いていた覚えがあるのです。
すごいことです。
確かに「主よ、あわれみたまえ」のままに僕はあわれまれ、その後しばらくの時間は必要としましたが、キリストにより救われたのですから。
なんとも不思議なことです。

大失敗

今勢いで、メーラーの送受信ボタンを押してしまったら、これまでの未送信メールが一斉送信されてしまいました。いらないメールばっかりだったのに、意味不明なメールがドドーッと。
どうする?
でも、何が大変て、ブログをメールで更新するモブログが中心で更新しているため、意味不明なブログ更新が…。

まずは関係ないところに送っちゃったメールには謝りを入れて、それから余計に更新されたブログを削除!!
おおおお、こんなに勝手に更新されてる!…

ということで、やっと沈静化に向いました。
関係各位の皆さま、失礼致しました。

「不毛地帯」に思う

最近「不毛地帯」なるドラマにはまっている。しかし、このドラマの根底にこの国にかつて存在した、大切な何かを感じている。
それは、誰のために、どんな目的のために、生きるかというもの。今の時代はそのようなことを言うのであれば、間髪入れずまず自分のため、そして自分の家族のため、と答えるでしょう。あるいは、その後に自分の仲間のためにというかも知れません。
しかし、このドラマの舞台となる戦後から高度成長期の日本には戦争の焼け野原の中から、国のために、社会のために、多くの愛する人のために、自らを省みることを置いて生きた人達がいたことを考えるのです。
それは、どのような立場にいるから、というのではなく、ただ自分の立たされている場所から、どれほど小さな場所からだとしても、それを始めた人がいたということなのでしょう。
それは、戦争で死んでいった仲間のため、その仲間の愛する人達のため、そして愛する祖国のため。そんな深い思いを持ってこの国の奇跡の復興を支え、長らく続いてきたこの国の平和を作ってきた人達が確かにいたということを思わされるのです。
私たちはそんな思いを持っているのでしょうか。そんな思いを次世代に継ぐ者として自覚して生きているのでしょうか。ただ、自分を喜ばせるため、その欲望を満たすために、ただお金のために、生きてしまってはいないでしょうか。私たちの人としての使命をいつの間にか売り渡してはいないでしょうか。愛する日本の皆さん、どう思われますか?

髪切ります

とうとう忙しさにかまけていたら、少しロン毛になってしまいました。親の遺伝か少しだけ天パーが入っているので、ロン毛になるといい具合にブローしたみたいな髪型になるのですが、さすがにスーツにロン毛は無理がありそうなので、今日くらいで断念します。
もっと伸ばすとベルばらのオスカルなみにクルクルヘアーになると思うので、一度実験してみたい気もするのですが・・・。

ちなみに今まで切ってくれていた美容師さんが昨年末、故郷の熊本に帰られてしまい、お別れもできず、ショックです。
ということで、今日はチャレンジして、新しい美容室にチャレンジしてみます。どうも、女性が多そうな美容室なので緊張しているのですが、まずはチャレンジ。
レッツゴー!

今日のかて マルコ 14:3-11

イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。
すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。
この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。
すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。
貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。
彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した。そこでユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた。
新約聖書 マルコの福音書 14:3-11

私たちはこれまで、神の恵みの豊かさ、その素晴らしさを存分に学んできました。ですが、神のご計画は私たちには計り知ることができるものではなく、その神の愛をさらに知ろうとすることはとても大切なことです。
しかし、ここで重要な真理について一度考えたいと思うのです。
始めに神様が私たちを愛してくださいました。キリストは神でありながら、人となられ、しもべの姿をとって私たちに仕える姿となり、その最後は十字架に至るまで、そのすべてを私たちに捧げ尽くしてくださいました。すべての恵みはそこから始まりました。
だからといって、私たちはそのイエス様を私たちのしもべとし続けてよいものではありません。神が日々変わりなく私たちを愛し、恵みと祝福を注がれ続けるからと言って、神である方を自己達成や自分の欲望のために仕えさせるということはありえないことです。
確かに、私たちのうちに愛が育まれるまでは、幼い者のようにその愛されることだけを知ればよいでしょう。なぜなら、私たちはそれまで、神ご自身を源とする愛というものを知らずに生きてきたからです。愛されなければ、愛することはわかりません。けれども、やがてその愛を知りつつも、私たちが神を愛するということを無視し続けることはできません。自らを捨て、私のためにすべてを捧げて愛された方だからこそ、世界で最も愛されるべき方だからです。この方の恵みが、慈しみが深ければ深いほど、その素晴らしさに、その計り知れない価値ある方に、私たちは愛を捧げる者となる、すべてを捧げる者、自らを献げる者となるべきなのです。やがて、私
自身のために生きることの虚しさとキリストのために生きることの豊かさを知るでしょう。香油を捧げた女性は、自らのすべてを捧げ尽くしても、さらに価値ある方のために、女性の財産であった香油(300万円相当とも言われるもの)を注ぎました。その注ぎ出された愛は、誰もがこの時信じていなかったイエス様の葬りのためのもの。その愛を湛えた濃厚な香りはあの十字架に続く道のりにまで漂い、木に掲げられたイエス
様の神への芳しい捧げ物となったのでしょう。
それに反して、ユダは自らの小さな欲望を抑えることをせず、イエス様から注がれた愛を自己中心的な思いに歪め、結果イエス様をたった銀貨30枚で売り渡してしまいました。日々私たちが自己を中心に生き、自らを認めてもらうことや、自己の達成、自己を喜ばすための欲望を抑えることをしない生活を続けるのであれば、やがて恐ろしくもこの愛すべきイエスキリストを自らのために売り渡す者となることが警告されているのです。

あなたは神を愛していますか?
あなたは何を神に献げますか?

主よ。小さな願いを聞いてください。飽くなき私の欲求はあなたの溢るる愛を忘れさせ、無価値なものにすり返ることを容易なこととさえさせ得ます。どうか、あなたを愛することの純粋さをどこまでも求めさせてください。あなたの愛により、私を聖別し、私をあなただけのものとしてください。どうか私を私にさえ渡さないでください。ただ私のすべてがあなたを愛すること、それが私のすべてです。主よ。とこしえのものとして、どうか、あなたを愛させてください。


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新橋駅前広場にて、人生の真実を叫び続ける伝道者、ストリートメッセンジャーのTaka♪です。
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