『一発逆転』通信

あなたの生活に豊かな彩を・・・ Jesus, You're the Center of my joy.

2010年01月

『一発逆転』人生塾 vol.60 お疲れさま

「重いくびき」

よく頑張った
よく頑張った
と自分に言って聞かせる
涙がこみ上げてきた
声にならない涙があふれて
止まらない
もうやめよう
何もなくなって
疲れた体が重い
疲れた人生が重い
もうやめよう
よく頑張ったんだから

《新約聖書 マタイの福音書 11:28-30》
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

あなたの人生はまだ終わっていません。あなたの魂に平安が与えられますように。


『一発逆転』人生塾
http://119.go2.jp
Art in Jesus
http://artj.go2.jp

今日のかて 第1サムエル記 1:10-13

ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。
そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」
ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。
ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。
旧約聖書 サムエル記 1:10-13

誰にでも悩みはあります。人知れず悩む思いを誰が知りえましょうか。顔で笑っていても、心曇らし、一点の悩みが人生全体を蝕むように感じることすらあります。それが自分の力でどうにかなる話であれば、本当に深い悩みとはならないでしょう。むしろ自分の力がおよばない、あるいは自分の知恵も力も尽き果て、自分にはどうにもできない。人にはどうにもできようがないからこそ、悩みと言えるのではないでしょうか。
このハンナの悩みは子供ができないことでした。そしてその悩みが彼女の人生全体の歯車を狂わせているかのように苦しませていました。何を持っていても何を与えられていても、その苦しみは他の何をも忘れさせるほど苦しかったに相違ありません。
声にならないほどの苦しみが祈りになり、ただうめくように祈るとも、主は私たちのそれほどの苦しみを、聞いてくださいます。いや知っていてくださる方です。ご自身のこととして、主が私たちを心配してくださるのです。

《詩篇 55:22》
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。

何一つ主が私たちを知らないことなどありません。それは私たちが知らない小さなことから、想像も及ばない大きなことまで、私たちが関与することのできないことまでも、すべてのすべてを知り尽くし、主が私たちの心配をしてくださるのです。そして、私たちのために最善を用意し、決して揺るがされることがないようにされるのです。
いやそこにこそ、祝福があります。人の力が尽きた時こそ、神が臨まれる時。主の全能の力注がれ、栄光が現れる時。いや、人の力で成した栄光は栄光と言えるものではありません。人には成し得ない神の御業の現われにこそ、人は神のみを崇め、ほめたたえる。神のみの栄光となるのです。これこそ、神の祝福です。
悩み苦しみは主の栄光が現れる場所、人の力が及ばないことがどれほどのことでしょう。そこにこそ、神ご自身が現れるのです。
ハンナはこの祈りの後、子供を授かります。この主への祈りのままに主に捧げられた子はサムエルという名前の子となり、宗教的混乱期のイスラエルを治め、神に立ち返らせる最後のさばきづかさになります。そして、さらにイスラエルの最初の王となる者サウル王と、その後イスラエルの広大な約束の地を統治することとなるダビデ王に神からの任職の油を注ぐ者となるのです。彼はイスラエルを大きく方向付けるターニングポイントに存在したなくてはならない重要人物となります。
誰がそのようなことを想像したでしょうか。惨めな不妊の女に、この欠乏、貧しさに注がれた神のあわれみのいかに深く、その祝福のいかに大きいことでしょうか。
すべては私たちが主の前にすべてを注いで祈ることです。飾ることもなく、できるということなく、できないまま、何もないまま、ただ主にそのありのままを申し上げることです。
私たちが一日も一刻も早くこの悩みが取り去られるならと、待っているように、いや、主は私たちが主の前に行くはるか前から先んじて心痛ませ、私たちが主の前に来ることを、祈りを捧げることを待っておられるのです。
悩みの時苦しみの時こそ、主に近づく時、主が近づいて下さっている時です。ともに主の前にひざまづきましょう。その悩みにこそ、神の壮大なご計画が溢れているのですから。

主よ。現実が何も見えず、目の前が暗闇にさえ見えるとき、あなたこそ私の光です。力及ばず力尽き、しかし私に何も無いからこそ、あなたの臨んでくださるとき、この空の私こそあなたのよみがえりの絶大な御力が満ち、栄光が現される器となるです。あなたこそ真実、あなたこそ道、あなたこそ命、あなたこそ希望、あなたこそ愛、あなたこそ私の神、あなたこそ私のすべてです。私はあなたに渇いています。なぜなら、すべての助けはあなたにあるからです。主よ。あなたの御名を呼びます。そしてあなたを求めます。あなたが私たちを満たし、あなたの栄光が全地に満ちますように。そしてそのことによって、私たちを待ち望まれるあなたの渇きが癒されま
すように。


『一発逆転』人生塾
(Mobile OK)
http://119.go2.jp
http://4649.com/119119

今日のかて
http://j119.go2.jp

キリストの顔

英BBCが最新の科学技術を駆使してイエス・キリストの顔を復元!!
ある日、教会の後ろの方に見知らぬ角刈りで首にタオル巻いて、ニッカボッカを履いてる、なんか人なつっこそうだけどっていうおじさんが座ってて・・・こんな感じの人で・・・でやけに聖書には詳しかったりして・・・。
でも話は驚くほどわかりやすいのに斬新で、自分の知らないこれが本当のキリスト教かと思う驚くべき話だけれども、核心的で、何か聖書に書いていることには完全に一致していて・・・・。何てことがあったりして。

それが再臨前にちょっと立ち寄ったイエス様なんてことになったら、誰もイエス様わからないと思いますよ。
最悪の場合イエス様のあまりに斬新で心が刺されるように核心的で痛い教えに異端呼ばわりしてしまったりして・・・。

最後には殺さん勢いで怒っていたりしたら、もうイエス様ですね。それ・・・。絶対・・・(笑)。
その可能性は十分高いでしょうけど。
あなたもチャレンジしてみます?自信あります?
私はないけど・・・。

↓復元像
http://archives.cnn.com/2002/TECH/science/12/25/face.jesus/index.html

今日のかて 第2サムエル記 5:19-20,23-25

そこで、ダビデは主に伺って言った。「ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。」すると主はダビデに仰せられた。「上れ。わたしは必ず、ペリシテ人をあなたの手に渡すから。」
それで、ダビデはバアル・ペラツィムに行き、そこで彼らを打った。そして言った。「主は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた。」それゆえ彼は、その場所の名をバアル・ペラツィムと呼んだ。
・・・中略・・・
そこで、ダビデが主に伺ったところ、主は仰せられた。「上って行くな。彼らのうしろに回って行き、バルサム樹の林の前から彼らに向かえ。
バルサム樹の林の上から行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは攻め上れ。そのとき、主はすでに、ペリシテ人の陣営を打つために、あなたより先に出ているから。」
ダビデは、主が彼に命じたとおりにし、ゲバからゲゼルに至るまでのペリシテ人を打った。
旧約聖書 サムエル記 5:19-20,23-25

新しい年が始まり、みなさんもいつものように仕事が始まったり、いろいろなスケジュールが始まり、いよいよいつもと同じ日常が始まったというところでしょうか。こうしていつもと同じように年が始まると言うのも、幸いと言えるのかもしれませんが、果たして神の計画はいつも一緒と言えるのでしょうか?
この箇所はいずれもイスラエルの王ダビデが、イスラエルの地を治めるためにペリシテ人と戦った場面です。しかし、内容は大きく違います。
同じものに同じように対処すれば、同じ結果が得られると、経験則に頼るのは人間の傾向です。私たちは過去の経験の積み重ねで、あらゆる判断をし対処して生きていこうとします。それは目に見えないものを、目に見えた過去によって知ろうとすることです。そして、その過去の蓄積に人は信頼を寄せます。また、同じ事柄に関しては同じように行動することが安心だと考えます。
しかし、ダビデは、同じ事柄でも、随時神に尋ねました。主のご計画を。
それは神のご計画は私たちの経験則を必要としない、さらに広い高い視野で見つめられた、さらに高い知恵によって計画された完全で最善な計画だからです。そしてその計画はその都度新しいのです。
経験によって自分に頼る者と、神に頼る者とが生み出す結果がいかに異なるかということは、この箇所ばかりでなく、聖書の至る所に記されています。もちろん、この箇所でも、神が語られた新しい方法論を選択することによって、ダビデは1度ばかりではなく2度の大勝利を迎えているのです。経験則を元にした安心は何の意味もありません。神が私たちに勝利を与え、神が私たちに本当の安息を与えるのです。
神の計画は私たちの経験則を超えていつも新しいのです。
今年は去年と同じでしょうか?
新しいときに、新しい神のご計画を求めて祈りましょう。そのご計画に従いますと、愛と献身に基づく告白を神にしましょう。そのときこそ、人知を超えた神のご計画が動き始めるのですから。

主よ。新しい年を与えてくださったことに感謝を致します。過ぐる年もあなたの栄光の輝きに彩られた素晴らしい年でありました。あなたのあわれみ溢れる恵み深い年でありました。しかし、それらを私の経験則の中に縛り、新しい年に踏み出そうとする、自らの力に安心しようとする高慢をおゆるしください。この新しい年のすべてはあなたが新しく造られた年です。あなたのご計画を成し遂げてください。どうか、あなたのみこころを聞かせてください。御言葉を通し、幻を夢を預言を通して、先人たちに語りかけたように、さやかに御声を聞かせてください。そして、この年にあなたの最善が成され、勝利に彩られ、あなたの栄光に輝く年としてください。そ
のために私自身をあなたにお捧げします。どうぞ、みこころを成してくださいますように。まだ見ぬ、未来の栄光を見て感謝いたします。


『一発逆転』人生塾
(Mobile OK)
http://119.go2.jp
http://4649.com/119119

今日のかて
http://j119.go2.jp

今日のかて 出エジプト記 40:1-2

主はモーセに告げて仰せられた。
「第一の月の一日に、あなたは会見の天幕である幕屋を建てなければならない。
旧約聖書 出エジプト記 40:1-2

信仰者にとっても正月は大切なときです。新しい年を迎えた、新しい時。それは誰にとってもそうなのですが、特に神はイスラエルの民に対して、特別な時を正月として制定しました。
エジプトを出て行くとき、出エジプトのタイミングを暦において1月としたのです。イスラエルの民は神の強き御手によって、驚くべき方法でエジプトを出ていきました。それまでの長きに渡り、イスラエルの民はエジプトの奴隷とされ、その苦しみの叫びを神は聞かれました。神はこの叫びに、さきにイスラエルの父祖であるアブラハムとの約束を思い出されました。そしてイスラエルをこの苦しみのエジプトから去らせ、約束の地カナンへと導こうとされます。解放者モーセをもって、エジプトの王ファラオに対して、神はイスラエルの民をエジプトから離れさせるように再三語ります。イスラエルの民を奴隷にしておきたい、王ファラオはこれを頑なに拒みま
すが、その頑なさゆえに10の災いがエジプトに下りました。イスラエルが神の民であることを神は現されたのです。そして、この神を恐れたエジプトはイスラエルの民がエジプトを出ることを承認しました。そしてこのエジプトを出た事実を生涯忘れないために、このときを新年としたのです。
この事実はクリスチャンにとっては、十字架によって贖われ、罪と死とまた罪溢れる世と決別して新たな歩みを始めたとき、つまり私たちが救われたときを予表すると言える重要な出来事です。
ですから、私たちクリスチャンは、クリスマスにその救い主の誕生を祝いましたが、さらに年明けて、私自身が救われた日を、忘れることの出来ない事実として振り返る、それが新年であると言えるのです。
さらに、主はエジプトを出たイスラエルの民に、その一年後の1月1日に幕屋を立てることを命じました。それが今日の聖書箇所です。この幕屋は移動生活を続けていたイスラエルの礼拝の中心の場所。移動式の神殿というべきものでした。重要な祭事はすべてそこで行われ、日々の礼拝を捧げる場所であり、そのすべての礼拝の中心は、十字架で捧げられたキリストを予表する、生け贄を捧げるということでした。
つまり、クリスチャンである私たちにおいては、毎日信仰の原点たる十字架を見上げ、キリストとともに、自らを聖い生きた供え物として捧げ続ける、そのような礼拝が、この新年から始まるということを、この箇所から知ることができます。新年から祭壇(礼拝)を建て上げること、これがまず大切なことです。
祈りをもって神を呼び、神と親しく交わり、聖書を読んで神の御声を聞く。みなさんの毎日の礼拝が祝福のうちに捧げられることを心からお祈りいたします。

主よ。新しい年を感謝いたします。この年も主がお造りになったもの。主のみこころがなされる、主の喜ばれる年となりますよう、主がお一人一人をお導きください。すべてはあなたによって力を受け、すべての志も主から来るものであり、すべての知恵も必要も、あなたのうちにあります。すべてはあなたが始まりであり、あなたが終わりなのです。どうか、あなたの栄光の輝きによって私たちの一年を輝かせてくださいますように。そして、どうかすべての原点をあなたに置いて歩むよう、私たちの毎日の礼拝を祝福し、また日々礼拝を捧げるべく私たちの日常生活を整えてくださいますように。この主との親しい交わりを回復してくださったことを心から感謝
いたします。この一年のすべてをあなたにお捧げいたします。感謝します。イエスキリストの御名でお祈りします。アーメン†


『一発逆転』人生塾
(Mobile OK)
http://119.go2.jp
http://4649.com/119119

今日のかて
http://j119.go2.jp
プロフィール
Taka♪

新橋駅前広場にて、人生の真実を叫び続ける伝道者、ストリートメッセンジャーのTaka♪です。
Taka♪Profile

ホームページ
『一発逆転』人生塾
http://119.go2.jp

記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ