『一発逆転』通信

あなたの生活に豊かな彩を・・・ Jesus, You're the Center of my joy.

2009年11月

秋色

153ac8fd.JPG窓の外は秋の色
神は絵筆をとって
この窓をキャンバスに
麗しく色を加えられた
かくも美しくこの国中を彩らせる奇跡は
この国を愛する神の思いか
このキャンバスを見る私への愛か
あなたへの愛か

今日のかて ヨハネの手紙 5:14-15

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
新約聖書 ヨハネの手紙 5:14-15

この御言葉を逆から読んで苦しむ人はいませんか?
神のみこころにかなわないなら、祈りは聞かれない。みこころがわからないから、祈らない。あるいはみこころから外れないよう、何をどう祈ればいいかわからないので祈れない。そんな日々を過ごす兄弟姉妹はいるでしょうか。
しかし、まず第一に神はご自身と私たちの関係の和解のために御子を地に降し、十字架につけられました。神は私たちがご自身との豊かな交わりのうちに戻ることを望んでおられるのです。そして、親子の関係の回復において、失われた家族の会話からコミュニケーションが取り戻されるように、私たちは祈りのうちに神との交わりが回復するのです。このことは、もちろん神様のみこころ以外の何ものでもありません。
さらに神は私たちにご自身のすべてを与え尽くされるために、比類なき御子を十字架にかけられました。そして豊かさに充ち満ちておられる御子は、ご自身が自ら私たちの内に住まうために、よみがえり、天にのぼり、神の右に座されたのです。わたしたちの内に住まう、充ち満ちたいのちとなられたこの方こそイエスキリストです。
私たちが父なる神との関係を回復するのであれば、父の願いは私たちにすべてを与えることであり、そこに愛があるのです。ご自身が豊かならば豊かなほど、私たちをご自身の豊かさの内に生かし、私たちのすべての渇きを切望を必要をご自身で満たしたいと願うはずであり、これが創造主なる神にある絶対的愛なのです。そして私たちがその神の愛に喜び、その豊かさに満ち足り、神を誉め讃えることを神は喜ばれるのです。
天地万物すべてのものは神により造られ、神がすべての所有者であり、その御子にすべてを与えられていますが、私たちはこの御子そのものを与えられているのです。ですから、すべてのものは御子に加えて与えられているのあり、すでにすべてのものは私たちに与えられているのです。なぜならこの方のうちにすべてがあるからです。
まだ、みこころがわからないと言い、何も与えられていない、与えられるかわからないと言うでしょうか?
私たちは神のみこころを見たのです。十字架の上に。
すべてを主に求め祈りましょう。すべての祝福を主から受け取りましょう。そして主を喜びましょう。主を心より讃えましょう。それが私たちの本分なのだから。

主よ。あなたのみこころはあまりに高く、私たちには理解することはできません。しかし、主よ。ただあなたのみこころを、尊い御子の十字架の上の御姿の上に見ます。そしてこの御子キリストが今私のうちに永遠のいのちとして生きていてくださる、この驚くべきことに私の心は震え、おそれおののきます。このいのちが鼓動し溢れあなたの愛を教えます。このいのちこそ主が私たちに与えてくださった永遠の宝。すべてのものはこの宝の前に何一つ価値を持ちません。このいのち御子キリストのうちにすべてのものは与えられているからです。何という豊さでしょうか。何という愛でしょうか。ただただ我がすべてをもって、あなたを讃えます。そしてあなたを
讃えるために永遠の時間を私に与えてくださったことに感謝します。主よ。あなたこそ我が神です。主を讃えます。


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永遠の宝

ここ数年解き明かされる神様の素晴らしさ。およそ、人の力や知恵、努力によってはとても知ることのできない深遠な真理を知る中で、神の限りない御恵みに圧倒されていました。

《エペソ人への手紙 1:17-19》
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、
あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、
また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。

すべてはこの箇所から端を発し、すでに救われているクリスチャンに対してさらに知るべき深遠な知恵があることを私に教え、その知恵に非常な飢え渇きを覚えた私に、その思いにそのまま主が答えてくださったことに心からの感謝を捧げます。まさしく「だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(マタイの福音書 7:8)」です。
ですから、そのひとつひとつは驚きと幸いの連続であり、同時に私はキリストにある幸せ・豊かさというものがこの世のものとはあきらかに違うものであることに気づき始めたのです。
それは多くの殉教者や迫害を受けた先人たちの中に現されていたものなのですが、いのちよりも大切なもの、永遠の宝というもの、貧する時も豊かな時もうれしい時も悲しい時も順境に際しても逆境に際しても、私たちの状況によらず、私たちが喜び続けるに価するもの、そしてその価値の素晴らしさのゆえに、自らの順境やいのちでさえ投げ出しても、失いたくない素晴らしい永遠の宝、これに心が吸い寄せられていったのです。

《ピリピ人への手紙 3:8,9》
わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、
律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。

そして、その素晴らしい価値ある宝こそ、イエスキリストまさしくそのもの。神が私たちに与えられた、神の豊かさに満ち溢れた神の御子、私たちはこの方を与えられ、この方を内に抱き生きているのです。いやこの方が私たちのうちに生きるからこそ、私たちは生きる、永遠のいのちそのものなのです。この方が十字架にかけられそのすべてを捧げ尽くしてくださったからこそ、与えられた恵み、私の何かには一切よらず、この方の流された尊い血の代価によってそれは打ち立てられたのです。
その永遠の宝のあまりにも大きな価値を知ったとき、私はそれこそが、私の人生のすべて、この価値を知り尽くしこの宝を抱いて生きることこそすべて、と感動しまたその真理を知ったのです。
しかし、話はそこで終わるものではありませんでした。ある日のメッセージの中で、「しかし、…あなたは初めの愛から離れてしまった。(黙示録 2:4,5)」というテーマからはじめの愛を思い返す機会が与えられました。そのメッセージの中で私は救いを受けた日の翌朝のことをリアルに思い出していました。
「ああ、イエス様がいるから大丈夫だ。僕の人生は何があってももう絶対に大丈夫だ。」と心の底から信仰と安息が溢れていたその日を思い出しました。
そうです。まさしく私はこの奥義たる永遠の宝を救われたその日に得ていたのです。何ということでしょうか?私が日々追い求め、渇き求めた、この永遠の宝は最初の日から完全な形で私に与えられていたというのです。
ああ、何と深遠なる恵み。この宝を内に抱きながら私はなぜ苦しんでいたのでしょう。なぜ傷ついたり失望したりしたのでしょう。何に偽られていたのでしょう。
この宝の輝きは永遠に変ることがないのです。
主こそ我がすべて。主こそ我がいのち。私は主のものとして以外生きることができません。なんと幸いでしょうか。
この方の愛が、だからこそ否応無く私に押し寄せ、私を包み、私を満たすのです。
今日のこの幸いを証しして、主を心より讃えつつ。

新橋にて

ffb1794f.jpg一昨日は幸いの洗礼記念日。昨日も幸いの一日でした。
これまで神様から新たな歩みが新橋で始まるという思いを一年ほど前から与えられていたこともあって、その新たな一歩のことをずっと考えていました。それがこの洗礼の記念を境に、なぜか、何かここまでで1周が終わって、さあこれから新たに出発だ!という気分が訳もなくしています。
というわけで、感慨深く、昨日はこれまでの歩みを振り返り、また新たな歩みに思いを馳せつつ、新橋に行ってきました。
この一周が終わったという感覚を得るまではなぜか新橋に足を踏み入られないような、不思議な感覚で、暖かくなって路傍伝道にちょうどよい季節に入ってからも、ずっと新橋での活動から遠のいていました。何か新橋に新たに踏み入れるためには、これまでのことを一旦置いて、新たな志しが必要なような気がしていたというのでしょうか。
ですので、このような思いのうちに、今日久々に行った新橋は何とも言えないものでした。
そして、これまで伝道をして来た場所全部に足を運ぶと、いろいろなことが思い出され、何もない私をよく神様は導いてくださったと、ただ神への感謝で胸がいっぱいになりました。何せ洗礼を受けてからすぐ新橋で路傍伝道を始めたわけですから、私には何もないのが当たり前でした。ですから、すべてはただただ神様の栄光なのです。ただ神様の奇跡なのです。それは私自身が一番知ること。その凄さに言葉を失っていました。
さらに驚くべきことは、何もない私はただ神様が私に語ってくださった約束だけを握りしめ、ひたすら新橋に通ったのですが、このはじめの約束のすべては今や叶えられ、私の目は確かにそれらを見たということなのです。その当時の私には奇想天外、そんなことなるはずないと人の目には思わしきものでしたが、主はそのすべてを私によってではなくご自身の御手により成し遂げられたのです。
なんと素晴らしい神の恵み深さでしょうか。だからこそ、今の私に与えられている途方もないように見えている約束もすべて主によって成就されると確信できるのです。
そうしたことを思いながら、感謝とともに、神のみこころがなるように、ゆっくり祈ることのできた良い一日でした。

この国の上に主が豊かに望まれ、私たちに約束されている祝福が回復されますように。

ちなみに、写真は昨日の新橋です。伝道にはふさわしくない、広場で日本全国の物産展というイベントが開催されていたのですが、それがかえって幸いして、ゆっくり神様の前に祈り親しく交わる時間を与えていただけました。

感謝♪

はじめの愛

はじめの愛に立ち返ることこの大切さを思われています。もちろん自分が何か踏ん張っても、ひねり出すことができるものではありませんから、それを祈るわけですが、昨日はたまたまそうした機会に恵まれました。参加した聖会で聞いたメッセージがきっかけでした。
自分が救われた日の翌日の朝のことを思い出していました。「ああ、イエス様がいるから、僕は大丈夫だぁ。」
本当にそれがうれしかった。一日中そう考えていました。
「あああ、安心だ。神がいる。」ただそれだけでした。ただ愛されている、それがうれしかった。
気がつけば、傷つき、気がつけば偽りが入り、気がつけば不信に陥って、気がつけば癒され、気がつけば神を知り・・・。そんな歩みでした。
もう一度大切なものを取り戻しました。何かが一周したような感覚です。そして、とても新鮮な一日が始まりました。そういえば、今日は洗礼記念日だったんですね。

《ヨハネの黙示録 2:4,5》
しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。
プロフィール
Taka♪

新橋駅前広場にて、人生の真実を叫び続ける伝道者、ストリートメッセンジャーのTaka♪です。
Taka♪Profile

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