『一発逆転』通信

あなたの生活に豊かな彩を・・・ Jesus, You're the Center of my joy.

2009年09月

今日のかて ヨハネ 17:17

真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。
新約聖書 ヨハネの福音書 17:17

多くの場合、クリスチャンの生活の大きな障害となる一要因は”偽り”です。この偽りというものは、救いの本質を隠し、私たちがその救いにおいてキリストにあってどのような者とされたのかという部分を覆い隠し、私たち救われた者の本当のアイデンティティーを忘れさせようあるいは理解させないように作用します。また神がどのような方なのか、そのあまりにも愛に溢れ、恵みに溢れ、それでありながら絶対的聖であられる存在である本来の神としての姿を覆い隠し、私たちに神を疑わせあるいは不信を抱かせ神との健全な関係を引き裂く働きをします。またさらに神が私たちにどのような関係を望まれるかを見失わせ、神と切り離れた生活を当たり前の日
常とするようにし、本来私たちがキリストの教会として与えられている権威や力を発揮できないように、また本来神から与えられるべき祝福や恵みを受け取らせないよう、私たちを封じ込める役割を存分に果たしています。
どうでしょうか。もちろんこの真理に逆らう偽り自体は教会の外の世にも働いているものではありますが、いかにクリスチャンの中にもその猛威を発揮していることでしょうか。そして、この偽りがいかに信仰生活の歩みに甚大なダメージを与えていることでしょうか。
しかし、私たちは救いを受け、神との関係が回復し、死からいのちへ、闇から光へ、罪の奴隷から義の奴隷へ、悪魔の支配から神の支配へ、肉に属する者から霊に属する者へ、地に属する者から天に国籍を持つ天に属する者へ、古いものから全く新しいものとされたのです。偽りを捨て、真理をゼロから、これまで自分の知りえなかった全く新しいものとして、根底から受け入れるのであれば、この真理は私たちに真の自由を与え、何でもできる力を得させるものとなるのです。
根強く残る偽りから、そしてその偽りに導かれ罪に半身を浸し続ける生活から、私たちを聖め別つのは真理である御言葉のみです。
真理を私たちの側に引き寄せて妥協させるのではありません。私たち自身から真理に近づいて聖め別たれるのです。私たちの知識・常識の中には偽りがたくさんあります。しかし、真理はひとつであり、永遠に変えることも、変わることもできないのです。
なぜなら、イエスキリストご自身が真理そのものだからなのです。

《ヨハネの福音書 14:6》
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

あなたはキリストが私たちを愛してくださったように、キリストをそして真理を愛していますか?


主よ。あなたを私に現してください。真理であられる方。わが愛する主、キリストイエスよ。あなたがどれほどの思いを持って、ご自身を捧げ尽くしてくださったのか。どうか私たちの中から偽りを取り除いてください。私たちに必要なのは、あなたが私たちに与え尽くしてくださったあなたご自身、真理そのものなのです。この真理を知るものとさせてください。どうかこの真理にのみ立って歩むものとしてください。どうかあなたから私たちを離さず、さらに近づけあなたと一つとして生きるものとしてください。迷える者を探し出し、御手の中に抱き入れてくださる主よ。弱き私たちを真理によって聖め別ってください。


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今日のかて
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今日のかて エレミヤ書 18:4

陶器師は、粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替えた。
旧約聖書 エレミヤ書 18:4

私たちは気づくと気づかないとによらず、神の器として造られました。それがキリストにより救われたときから、本来の製作者(神様)が造った意図に基づく姿に新たに形造られるわけです。それは神様がこの器にご自身の満ち溢れる豊かさをもって私たちを満たし、ご自身の栄光を現すために他なりません。
あなたは自分がどんな器だと思われますか?
ガラスの器に熱湯を注ぐこともできませんし、きゅうすではなく茶碗でお茶を入れることもできません。また、穴が空いたり、ひび割れたままでは何も入れることはできません。製造者に代わって自分でその器の用途を決めることもできませんし、製造者に向って私を何に造るのかと文句を言うこともふさわしいことではありません。
そのように、私たちが救われた後だとしても、そのままの姿では、神様は私たちに何も注ぐことができませんし、そのことが栄光となることはありません。
しかし、私たちが今どのような姿の器なのかはなかなか気づきません。このままでも充分に栄光を現すことができると思われるかもしれませんが、造り主なる神から見るなら、神の元に戻るまで私たち自身が自分勝手に自分の栄光を求めるために自分で自分を満たそうとしたその器は、決してそのままで使えるようなものでは到底ありません。欠陥だらけで醜くとても器とは言えない、残念ですが私たちはそのようなものです。
一度砕かれ、神ご自身の手によって練られて始めて、神の栄光を注がれるに足る器となるのです。確かに神により砕かれることは痛く苦しいことかも知れません。練られる工程は決して私たちに喜ばしいものとは言えないかも知れません。火の中を通されることは人の目には恐ろしいことかも知れません。
でも、神はこの全工程を私たちの想像を超えた溢れる愛をもってなされるのです。一時は何かを失い、深く傷ついたと思ったとしても、その後与えられる栄光は先のものとははるかに比べものになりません。そして気づけばその工程のすべてが神の御手の中にあったことであり、何一つ失ったものなどないことをあなたは知るでしょう。あなたは神により尊い器とされるのです。そうして、私たちのうちに神ご自身が充ち満ちて、その栄光の輝きに私たちが照らされるとき、私たちは本来の自分の姿を見て、苦しみにあったことは幸いでしたと告白するでしょう。
恐れないでください。神に勝る名工はいないのです。神に勝る愛を注ぐ者もいないのです。あなたは神の栄光に輝く尊い器なのです。勇気を出して神の前に最良の器となるよう自分自身を捧げましょう。

主よ。この貧しい器をあなたの前に捧げます。この器をあなたで満たし、その栄光を現してくださることが私の望みです。私はあなたに贖われたあの日からあなたのものです。どうか、あなたの愛する器をあなたのみこころのまま用いてください。頑なな心を砕き、日々新しく変る勇気を与えてください。恐れを締め出す全き愛をお与えください。この貧しい器を尊いと言ってくださり、溢れるほどに愛し続けてくださる主に感謝いたします。


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お祈り感謝いたします。

ハレルヤ♪
主の御名を心から讃美いたします。
主は奇しき方、主のされることはいつも素晴らしいです。日曜はお祈りいただき大変ありがとうございました。
私の所属する教団とはまったく趣きの違う日基の教会ということで、新鮮さもひとしおでした。前もって教会の礼拝に出席させていただいたこともあり、教会の兄弟姉妹を思い浮かべながら、主が何を願われているのかを求め、この日を非常に楽しみに過ごして来たのですが、実際は私の思いをはるかに上回って素晴らしい一日を主は備えてくださいました。
前日は、遠足に行く前の子供のように興奮してしまい、あまり寝付かれなかったのですが、朝は何年ぶりかの快調な目覚め、頭もフル回転で、すでに神様はすごいことをされていました。また、このご奉仕のために神様は2人の兄弟姉妹をその場での祈りの戦士として備えてくださいました。(妻も含め4人で伺わせていただきました。)感謝です。
礼拝は静かに始まり、ご紹介をいただいた後、講壇へ。
緊張の背中を支える大きな祈りの手を感じていました。
ハレルヤ〜♪と叫び、神様に示されていたように、讃美を捧げました。イスラエルの聖なる方は讃美のうちに住まわれる。教会の愛する兄弟姉妹と共に何度も繰り返し同じ曲を讃美するうちに聖霊の流れがゆっくりと流れ、濃厚なご臨在と平安の中、お証しをさせていただきました。(内容はいつか皆さんに自由にご覧いただけるようにホームページ上に用意できればと思っているのですが)
いつもの新橋の時と同じように、すべては神が導いてくださいました。予定の通り、私の救いの証しと新橋での伝道の証し、そしてそのすべての根底にある、「今、内に生きておられるキリスト(聖霊)の恵み」に関して、ヨハネの福音書 7:37,38からお分かちさせていただきました。気がつけば、兄弟姉妹たちの顔は力強く喜びに輝いていました。
続いて同じテキスト箇所から教会の牧師の小河先生のメッセージ。御霊はそのお証しとメッセージを完全に一つとされ、神の語られたことに本当に感動をいたしました。恵まれた素晴らしい礼拝をお捧げすることができました。
続いて、愛餐の食事の時を兄弟姉妹方がご用意くださいましたが、そこはもう質問の嵐でした。兄弟姉妹たちが伝道に深い思いを持っていたこと、神様を強く求めていることが、次々に質問となってとても濃厚な交わりの時をいただきました。
午後は私が写真家&詩人でもありますので、牧師の小河先生のご希望もあり、新橋哀歌の連載記事をまとめたものと、私の作品たちを皆さんに見ていただきながら、交わりの時を持ちました。
その中で、私のお気に入りの作品はどれですか?というご質問をいただき、十字架を描いた一つの詩とその対となる詩一つを朗読させていただいたところ、多くの兄弟姉妹が涙を流されていました。確かにそこにイエス様の十字架が現れました。
なんと素晴らしい御恵みでしょうか。多くの兄弟姉妹が強められ、心動かされたのをこの目ではっきりと見ることができる喜びは。ゆるされるならば、このような機会がまた与えられ、多くの兄弟姉妹を励まし力づける働きがあたえられればと思っています。ただ何も持たず、小さな祈りを聞いてくださり、神様が開いてくださった新橋の路傍伝道の道。さらに大きく主のみこころのままに用いてくださり、主が栄光を現してくださればと、願っています。
ただ大いなることをなされた主に感謝!
主こそほめたたられるべき方、主の御名にとこしえに栄光あれ!

感謝! 


from Taka♪

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人生逆転のための集会のお知らせ

伝道集会 タイトル 「渇ける者はいのちに来たれ!」 
2009/09/13( 日 ) 午前10時30分〜

これまで、新橋で木曜日に行われてきた新橋路傍伝道(講演)での経験から、証しとしてお話をさせていただきます。
新橋で目にしてきた数々の人生回復のストーリー。すべてがノンフィクション。救いの真実は私たちの理解を遥かに超え、まさしく驚くべき恵みが溢れます。
いのちの力がその場に溢れるお話をさせていただければと思っています。
キリストから溢れるいのちの力があなたの人生をあなたの明日を力強く変えて行くでしょう。

クリスチャンではない皆さんも、クリスチャンの皆さんも・・・
どうぞ、お誘いあわせの上、ぜひともご来場ください。

清瀬旭が丘教会
〒204-0002
東京都清瀬市旭が丘1-278 TEL:(042)493-1173
ホームページアドレス
http://www.h6.dion.ne.jp/%7easahi-ch/

今日のかて エペソ 3:20-21

どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、
教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。
新約聖書 エペソ人への手紙 3:20-21

神は私たちに、神との永遠の歩み中で(この地上での歩みを含めて)、あらゆるものを神に求めることを、またその求めをご自身の豊かさをもって豊かに満たすことを、またそのことによって私たちが神を喜びまた神を讃美することを、この上ないの喜びとされます。ですから、私たちがあらゆることを神に求めることは私たちの本来の姿であり、神に造られた者(被造物)としてふさわしいことです。
しかし、私たちがその願いを神に祈り求めるとき、私たちは神がいったいどのような方なのかということを知らないがために、その願いが叶えられるか叶えられないかだとか、かろうじて叶えられたなどという、神という存在を、私たちの理解の範囲の中に閉じ込めてしまうようなことを、得てして、してしまいしがちです。
またその願いをこのような方法でこのようにして満たして欲しいとか、条件付けまでして祈ったり、これとこれがこのようになればよいのだけれど…などと言いながら、日々のつまり目先の必要に目を奪われ、神が本来与えようとしておられる大いなる恵みや抜本的な解決となるであろう大胆な御手の働きなどを遠ざけてしまっていることがあります。
そのようなとき、私たちは私たちの祈りの中でさえ、その願望を自ら想像しうる範囲の中に入れ、自らの手でつかみ、自分には本当は何が必要なのかさえわからないのに、小さい範囲の低い目線で得た近視眼的な視野の中に神の働きを閉じ込め、神が本来与えようとされているものを退けて祈っていることさえあるのです。
神は私たちの求めをまた思うところのいっさいを、はるかに超えてかなえて下さることのできる方なのです。その範囲は私たちの想像、理解の範囲をはるかに超えるもの、この神の思いは私たちの思いを超えてはるかに高く完全です。私たちの求めや思いが不完全であっても、この方が成し、私たちに与えられるものは完全なのです。それは最善、それは最良、なぜなら神のご性質は善そのもの、愛そのもの、義そのものだからです。神は最も良きもの以外をご自身の性質上、与えることができない方なのです。
あなたは神を小さくしていませんか?
神の働かれる力を小さいものとしていませんか?
神を、そして神のご性質を疑ってあるいは誤解していませんか?
具体的に神の前に問題を祈りとして注ぎ出すことは大切なことです。しかしそれをどのような方法で、どのような結果をと、自らの手に、常識に、握り締めて祈りすぎていないでしょうか。
最善をなされる神にすべてを完全に委ねてみませんか。神の方法、神の御業、大いなる神ご自身を求めて、遥かに大きな、理解も想像もできないあなたに与えられるべき大いなるものを、自分の祈りを神の御手にすべて委ね切って祈ってみませんか?
そのときあなたは、そこにすべてを超えた圧倒的な神の現われを見るはずです。主の御名はほむべきかな。

《エペソ人への手紙 1:19-21》
また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。
神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、
彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。

主よ。あなたを教えてください。あなたがどのよ方であり、私たちに向けられる思いがいかに大きなものであるのか、私たちのうちに働くあなたの力がいかに莫大なものなのか、あなたの与えられる豊かさがいかなるものなのか、絶え間なく注がれる愛の広さ、長さ、高さ、深さを、教えてください。私はまだあなたを知りません。私自身を知りません。あなたの愛をまだ知り尽くしていません。主よ。どうぞ、真理によって導いてください。ただ私たちのうちに、その不足欠乏悩み問題あらゆる欠けのうちに、全能なるあなたご自身を現してください。あなたの栄光が輝くために。あなたの御名が高く掲げられるために。


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いよいよ明後日です。

ハレルヤ♪
いよいよ、明後日。来たる13日日曜日はご奉仕の日。清瀬旭が丘教会にお招きいただき、伝道集会という形で、これまでの新橋路傍伝道での経験をお証しさせていただく日です。
なにぶん屋根のないところでお話するのには新橋で多少慣れて参りましたが、今回は屋根があるということで緊張しております(笑)。
何より、今回は伝道という意味合いと、兄弟姉妹を励ますという意味合いとの両方において、お話をするということで、これまで私といつも共におられ、この働きのすべてを成してくださった、私のうちに住まわれる私のいのちであるキリストについて、その恵みの素晴らしさについてお話しようと思っています。(内住のキリストの恵み)
そして、何より私が新橋で見て来た、つまり使徒の働き29章(使徒の働き28章は完結した書かれ方ではない。この次の29章は私たちキリスト者のその歩みの中で書かれていくものだという意味より。)の世界を、今私たちキリスト者はそこに生きるものとして、少しでもそのいのち溢れる感覚を肌で感じていただければと思っています。
主はまさに今も私たちの内に生きておられ、その大いなる栄光を現そうとされております。
この集会の中に今まさに生きておられる神がその濃厚なご臨在をもって、栄光を現してくださいますように。

ただ主の大いなる御業に期待し、主をあがめ、主にすべてをゆだねつつ

在主 


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今日のかて 創世記 9:5-6

わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。
人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。
旧約聖書 創世記 9:5-6

毎年平和を深く考えさせられる8月が去り、時節は9月に入りました。同時に政権交代という歴史的にも大きな社会の転換期を迎えています。ですから、今回は、8月の一時のこととしてではなく、もう一度戦争と平和について、思いを巡らして行きたいと思っています。
私たちが人の血を流すこと。このことはどのような大義があったとしても、負うことのできない大きな罪です。
戦争に正義はありません。勝者もいなければ、敗者もいません。ただ、人が人の罪ゆえに、人の血を流し、人が人を憎み、怒り、破壊して行く。それ以外には何も残りません。延々と続く悲しみと涙の日々、それを歴史の中で美化することはできません。
神様は私たちが人の血を流すことに対して、いつの時代にも変わりなき態度で臨まれます。ですから、多くの血を戦争という大義名分によってオブラートに包んだ大量殺人に対して、私たちを含めすべての国がその血の責任を神に問われているのです。
そして、私たちの国が犯した罪に対する問いに明確に答えることが出来るのが、キリスト者です。
それは60年以上も前の過去のこと、私には関係ないと答えるでしょうか?
では誰がこの罪のために涙を流して悔い改め、神の断腸の思いに答え、その怒りと悲しみの間に立つのでしょうか?
私たちはこの国をキリストとともに治めるために、神によって、ただあわれみにより選び出されたキリスト者であるのに、この国と無関係であると言い続けることができるでしょうか?
かつて、エレミヤという預言者は滅び行くイスラエルのために、涙を流して神の前に悔い改めました。同胞の罪を我がこととして、我が罪として、涙を流して悔い改めたのです。
このような人のことを聖書は破れ口に立つ者と言います。国の破れ口に立つ、この執り成しを神は決して無視されません。
武器を取るところに平和は存在しません。真の平和を作る者となりたいと思います。だからこそ、この国が流した多くの人の血の罪のために執り成し、この国の破れ口に立つ者となりたいと思うのです。

主よ。この国に真の平和を与えてください。多くの国民が心に平安なく、ただこの国が抱える多くの問題の中に苦しみ、押しつぶされそうになっています。ここに真の平和はありません。主よ。私たちのこの国が流した多くの血の罪をお赦しください。この罪の報酬としての死から、この国を贖い出だし、この国に真の平和を回復してください。どうか、さらなる血を流すための準備がこの国に着々と進み、それを平和のためのように偽られています。剣を取るものは剣によって滅びるとあなたが言われた通り、そこに平和はありません。主よ。すべての罪のため十字架にかかられ、すべての敵意を十字架にかけ、和解となられた、平和そのものとなられた主がどう
かこの国に臨み、真の平和をあなたの御手によって成し遂げてください。ただあなたの義によって、憐れみ平和を与えてください。


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新橋駅前広場にて、人生の真実を叫び続ける伝道者、ストリートメッセンジャーのTaka♪です。
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