『一発逆転』通信

あなたの生活に豊かな彩を・・・ Jesus, You're the Center of my joy.

2009年08月

お祈りのお願い

ハレルヤ♪
主の御名を讃美いたします。
いつも覚え祈りにお支えいただき心より感謝申し上げます。
今年は伝道に関して働きが大きく変り、新しい歩みを意識しながら、祈りつつ導きを求めつつというような日々を送っております。
そんな中で、一つご奉仕をさせていただくことになりましたので、ぜひお祈り願いたくメールいたしました。
実は来たる9月13日に日本基督教団清瀬旭が丘教会様からお招きいただき、これまでの新橋の路傍伝道での経験を証しとしてお話をさせていただくこととなりました。そもそも伝道集会ということですので、もちろん、教会は始めてという方も多く招かれていることと思います。このよき機会に福音を力強く語らせていただければ、とも思っていますが、同時に、これほど何もない者をも導き新橋の駅前などという最初は気がおかしくなったのかと自分でも思うほどの場所で、福音を叫ばせていただいた、一重にただ神の奇跡としか言いようない現実をわがこととして見せていただいた者として、この機会に多くの兄弟姉妹を励ますことができればと考えています
。これはまさしく今生きて共におられ、現実に働かれておられる主の栄光以外何ものでもありません。どうか良き証しのときとなりますようにお祈りいただければ、幸いです。
特に今回は礼拝の中での証し、そして続いて先生のメッセージが続く形となります。主がその中に素晴らしい御業をあらわし、主ご自身が豊かに満ち溢れご臨在くださいますよう願うばかりです。

今回のお話は本当に素晴らしい導きの中で与えられたものでした。現在受刑者伝道の働きを進める中で、その中心的メンバーの姉妹と親しく交わらせていただいておりますが、そもそもこのお話が百万人の福音で連載しておりました新橋哀歌が元で導かれたのが始まりということもあり、最初にこの姉妹に連絡させていただいたとき、新橋で路傍伝道をしているお話から良き交わりを持たせていただきました。そしてその中でぜひ姉妹の教会の婦人部主催で伝道集会が企画されているので、そこで福音を語って欲しい、兄弟姉妹を励まして欲しいというお話をいただきました。

《ハガイ書 1:4,7-8》
4 「主の家はこのように荒れはてているのに、あなたがたは、みずから板で張った家に住んでいる時であろうか。
・・・中略・・・
7 万軍の主はこう言われる、あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい。
8 山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。

ここ数年私は伝道、救霊の思いばかりではなく、兄弟姉妹に対しての思いをいただくようになりました。そして、キリストの御からだであり、神の家である兄弟姉妹を建て上げる働きも少しずつですが進めさせていただいています。言わば、伝道と両輪があって進められる主のリバイバルへの思いを抱きつつ歩んでいます。今回はそうした意味で新たな一歩とも考えています。主の御業を心から待ち望んでいます。

どうか主がその御おもいのままにすべてを導き完成させてくださいますように。

どうか、小さい一歩かもしれませんが、来るべきリバイバルを覚えつつ、皆様のお祈りに加えていただけると幸いです。よろしくお願いいたします。


from Taka♪

路傍伝道の予定は
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今日のかて マタイ 9:18,23-25

イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、ひとりの会堂管理者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がいま死にました。でも、おいでくださって、娘の上に御手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」
・・・中略・・・
イエスはその管理者の家に来られて、笛吹く者たちや騒いでいる群衆を見て、
言われた。「あちらに行きなさい。その子は死んだのではない。眠っているのです。」すると、彼らはイエスをあざ笑った。
イエスは群衆を外に出してから、うちにおはいりになり、少女の手を取られた。すると少女は起き上がった。
新約聖書 マタイの福音書 9:18,23-25

認めない信仰と、認める信仰。これは信仰という面において、大きな要素です。信仰とは「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル人への手紙 11:1-4)
ですから、何を認めるべきか何を認めないべきは大切です。
私たちの日常を襲うあらゆる問題に私たちが出会ったとき、その問題を問題としてそのまま認めてしまい、心に受け入れてしまうとその問題があなたの中で現実となり、あなたを苦しめるものとなります。そしてその問題の大きさだけが膨れ上がり、その現実化したと思われる問題に打ちのめされ、何とかならないかともがき、何ともできないと絶望する。祈れば平安、けれどもすぐ訪れる恐れと不安。その繰り返しの中で、やがて神への疑いが生まれる。その疑いは熟すと神に対する不信となり、傷となり、反抗や憎悪にまで育つこともあります。
つまり、問題を認めたからこそ、神を認められないという姿がそこに存在します。心当たりがある方も多いでしょう。いや信仰者の葛藤のひとつと言っていいのかも知れません。
しかし、果たして本当にそうでしょうか?
すべての問題は神の前に無力です。神に勝利できる問題など存在しません。神に解決できず打ち砕けない問題など存在しないのです。
あなたは偽られていませんか?

《イザヤ書 43:11-13》
わたし、このわたしが、主であって、わたしのほかに救い主はいない。
このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。あなたがたのうちに、異なる神はなかった。だから、あなたがたはわたしの証人。――主の御告げ。――わたしは神だ。
これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はなく、わたしが事を行なえば、だれがそれをとどめることができよう。」

神は私たちを愛し、私たちの全領域を神の豊かさで充ち満ち溢れさせるために、神の豊かさで満ち溢れたキリストご自身を私たちに与えてくださいました。ですから、私たちのあらゆる欠け・不足・必要をキリストにあって満たせないなどということはありえないのです。
あなたは偽られていませんか?

《コロサイ人への手紙 2:9,10》
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。
そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。

ですから、イエスキリスト自身は今日の聖書の最初の箇所で、少女の死という問題を現実のこととして認めず眠っているだけだと言い切っているのです。問題は神の前では問題ではないのです。
ここに問題を認めない信仰があります。

《箴言 3:5,6》
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

そしてあらゆるところで主を認めるのです。そうすれば、偽りは過ぎ去り、すべてのものごとは神の前に本来あるべきように、つまりは偽りではなく真理の御言葉にあるように整えられ、道はまっすぐにされるのです。
ここに認める信仰があるのです。そう、主を認める信仰。
あなたにこのまっすぐに整えられた道が見えるでしょうか?
あなたにとって現実はどちらですか?
問題を認めて、歩むべき道がその問題に立ち塞がっている現実ですか?
問題を認めず、神のみを認めて、神によりまっすぐにされた道が現実ですか?
偽りは根強いものです。しかし、信仰の目が本来のあなたが見るべきものを見させるのです。

主よ。問題を認めず、ただ神のみをただあなたのみを認める信仰をお与えください。私にとっての現実はあなたそのもの、あなたとともに歩むことこそが現実です。あなたが今生きて、その全能なる御力によって生かしてくださり、そしてあなたが私の全領域において栄光を現してくださることのほかに私の人生はありません。偽りではなく真理によって歩ませてください。イエス様が御父に抱いておられた信仰を私に与え、その信仰の目によって、すべてを見きわめさせてください。ただあなたのためだけにすべてをなさせてください。


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『一発逆転』人生塾 vol.58 平和を考える

昨日は終戦記念日でした。
そして日本はもう一度平和について考える時を持ったのです。その傷痕をもう一度思い起こして。時代が過ぎればその記憶は薄れて行きます。しかし、忘れていいことと決して忘れてはならない記憶あることを思わされました。
確かに戦争に正しいものはありません。なぜなら、戦争で残ったものを見ればわかるからです。それは破壊の痕と、数え切れない人の血が地に流されたという事実です。
勝利など存在しません。敗北も存在しません。ただ双方にその傷痕が残るだけです。そしてその流した血の責任を互いに負うのです。
聖書には、最初の人が罪を知り、そのことによってその後生まれたすべての人に罪が入り、すべての人が生まれながらに罪を持つ者となった後、その子供が最初に犯した罪が殺人であったことを記しています。それも兄弟間での殺人でした。罪は血を求め、虎視眈々(こしたんたん)とその機会を狙っていたのですが、その結果として殺人という罪の結果を生み出した時、その血を流した見返りはあまりにも重いものでした。

《創世記 4:10-12》
そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。
それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」

神は同様に私たちに語らないでしょうか?
私たちが互いに流した血の結果を。そしてその代償は今でも私たちには重過ぎるものであることは変わりません。それは繁栄とは程遠いもの。そして罪は新たな血を求めて、待っているのです。復讐と憎しみという感情の向こうに。今でもその感情は互いに傷つけあった国同士に、人同士に、根深く眠っているのです。それを決して真の平和とは言いません。
この罪の問題に対する解決を無視して平和は存在しません。まして、さらなる戦争への準備としての武力による平和など存在し得るはずがないのです。
ですから、戦争の歴史は今なお繰り返されるのです。

《マタイの福音書 26:52》
そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。


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新橋駅前広場にて、人生の真実を叫び続ける伝道者、ストリートメッセンジャーのTaka♪です。
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