『一発逆転』通信

あなたの生活に豊かな彩を・・・ Jesus, You're the Center of my joy.

pm2.5対策

黄砂と共に飛来してきたpm2.5。
健康にも重大な影響を持つと言われています。
それにいかに対策していくべきか。
昨日などは、関東でも空が黄色く幕を張ったように暗く覆われていました。
毎日外に出ると、服は塵埃だらけ。
叩けばまた埃舞い上がりいかにも体に悪そう。
洗濯をしても、服を外に干すのもこれではままならない。
どう対策すべきなのか?
顔や手はとりあえず帰ってすぐ洗えばいいとして。。。

うん?

あっ!

そうだ!

パンツ一丁で外出すればいいんだ。
そうすれば、家に帰ってシャワー浴びればすぐに済むことだしね!

でも要注意!
靴を履かないと外は歩けないよ♪
カジュアルならサンダルもOKだけど、普段靴を履くなら靴下も忘れずに♪


※この文章の中に大きな誤りがいくつかあります。よい子の皆さんはまねしないように。僕と握手!約束しよう!

ビバ!足湯!

最近足湯にハマってます。
何か楽なんですよね。何か他のことができるのに、お風呂に入っている気分になれる。
それでいて、全身が暖まるわけです。
特に足だけ湯桶に入れて、体は横になっているとさらにあっと言う間に全身が暖まるようで、これにハマってしまいました。
寒い季節はこれが一番。以外にも腰痛肩こりの原因が冷えだって言うことに気づいたりします。
全身リラックスでぽかぽか。
これからのシーズンにはあまり関係ないように思えるかも知れませんが、ストレス解消にも足湯お勧めです。

今谷川俊太郎さんがテレビに

失礼ですが、今も現存の方とは知りませんでした。
すごい詩人ですよね。
私もあこがれます。詩人という生き方。
教科書にも出てくる方なので、今もお元気でおられると知っている人も以外と多くないのではないかと思うのですが、そういえばどこかの新聞で連載されていたような、いないような。
とにかく、どんな方なのかこんなに動いて(失礼ですが)バラエティーに出ている姿なんて滅多にないことでしょうから、ちょっと興奮気味で画面をしっかりロックオンしながら見ていました。


で、詩人という生き方、やはりしてみたくなってます。
あるんだ、その生き方という感じです。
ゆっくり取り組んでみようかな。長い宿題のような感覚で。

バレンタインデー 肉♪

8d2e4e28.jpgバレンタインデー ニック♪
バレンタインデー 肉♪
バレンタインデー ニック♪
塩コショウかけて♪
シャララ♪ 素直に肉♪

ということで、バレンタインは肉もりもりいただきました。

もちろん、デザートにチョコいただいたんですけどね。
ただ、肉のインパクトが凄かったもので。。。

今日のかて 2コリント 4:16-18

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
新約聖書 2コリント 4:16-18

新しい年を迎え、「今年こそは心新たにこれをしよう」とか、「全てを一新して歩んで行こう」だとか、いろいろな思いで一年を始めようとされている方もたくさん居られると思います。
ここで新しくしようと思われるのは心の一新とか、行い(つまり体)における一新を考えるというのが、人の考えるところの新しいというものでしょう。
これは気分によって変わるものであったり、また肉体的な問題、年齢的な問題などで、あるいはすぐにその新しさは色薄れるものです。
今年こそで始まるけれど、年の終わりには早く年忘れしたい、そんな移ろいやすい外面だけの新しさに、振り回されるような歩みを毎年重ね続けるのであれば、確かに私達の歩みはどこか虚しさの残る希薄なものとなるでしょう。
しかし、神を信じる者に与えられてる歩みは、決してそのような空虚なものではありません。
主は死を打ち砕きよみがえられた方。私達の歩む日々の歩みにはこのキリストと共にあるからこそ、死と復活を常に繰り返し迎えるのです。
私達を死の恐怖へ引き吊り込もうとする一切の現実、問題、困難は、つまりは私達全ての人が持つ罪の故に、死の報酬へと進むあらゆる現実は、全てがあの十字架の死と共にかけられる。
やがてそこにはよみがえりの絶大な力に満ちた、新しい命が常に溢れるのです。
そう、つまり主が与える新しさはその命そのものを新たにするという新しさ。私達の根底から全てのものを一新するという新しさです。
古きは死を迎え、よみがえりの命と共に全てが新しくなる。
どうしても罪を犯し続ける罪に満ちた古い命の持つ私達の性質は、その古い命と共に十字架にかけられて死に、よみがえりと共に与えられた新しい命にある、神の性質に預かる者とされた。
自分を中心に生きる肉にある生活から、新しい命である御霊に導かれ、神を中心に生きる生き方をする者となった。
暗闇から光の支配の下へ、死から命へ、サタンの支配の下からキリストの支配の下へ。
地上に生きる者から、天に生きる者へ移された。
一時の限られた時間を生きる人生から、永遠を生きる永遠の命を持つ者へとされた。
私達が新しくされたとは、このような最も深い根底から、完全に一新されたという、私達の理解をも超える程の意味を持つものなのです。
この新しい命をあなたは本当に味わっているでしょうか?
この本当の新しさを知るのは私達の内に生きる御霊であり、またこの新しい生き方を語るのは聖書の真理のみです。
つまりは聖書を読み、祈り、霊に満たされて、主に導かれて、主に従い生きる日々の中にしか、実はこの真の新しさを知る鍵はありません。
決して新しく見えない、近道などない、ごく当たり前に見える、日々の積み重ねの中にしか、本当の新しさは存在しないのです。
残念ながら、目新しい何かを信仰生活に求め、目に見える刺激的な何かを追い回し、この方が近道と言われるような生活を繰り返しても、そこに本当の新しさはない、虚しい信仰生活の繰り返しにしかならないのです。偽りの目新しさは私達を真の新しさには導かず、そこに残されるのは偽りの信仰生活のみであり、古い命に束縛された決して新しさにたどり着けない道のりなのです。
あなたの本当の新しさを知るために、ごく当たり前の生活から見つめて、新たに今日を歩み始めましょう。
永遠の新しさはすでにあなたの内に始まっているのですから。


愛する主よ。私達はあなたに、すでにその命ごと新たにされたのですが、その新しさを存分に味わい知ってはいません。目新しさを求めてはいますが、すでに与えられている命の真の価値を知らないでいるのです。どうか、永遠に生きる者として、天に生きる者として、その新たな命に生きる者として、目を開いてください。その目を、まなざしを、新たにしてください。そして、そこから新たな歩みを今日も与えて下さいますように。

今年もきれいでした

0be1e366.jpg今年も気がつけば、もう年末。
今日で今年にさよならです。
今年もいろんなことがありました。
みなさんも良いこと悪いこといろいろあったでしょう。
そんなこんなを含めて、今日はきれいな夜景をお送りします。
カレッタ汐留のクリスマスイルミネーション!
きれいでした。
これは舞踏会のシーンでしょうか。
また来年も良い年になりますように。

『一発逆転』人生塾 クリスマスの希望の光

希望の光はどこにあるでしょうか?
あなたはそれをどこへ探しに行きますか?
クリスマスシーズンにはイルミネーション輝き、あるいはキャンドルの灯火がクリスマスムードを高めてくれるかも知れませんね。
しかし、あなたの人生そのもの、命そのものに、希望を灯す光を探し出すのは至難の技です。
クリスマスが終われば消えてしまう輝き。でもどこかに希望を感じているからこそ、人はこの灯火に心惹かれるのでしょう。
さあ、その灯火をどこに探しに行きましょうか?
その灯火は案外あなたのすぐ近くにあるのをお気づきでしょうか?
クリスマスはあなたの人生に救いを与えるために、あなたの救い主が誕生したことを祝う日です。
どのような闇も勝つことのできないまことの光、命の光がこの地に来られました。
それは救い主イエスキリスト。
それはあなたの中の闇を、あるいはあなたを取り囲む闇を、すべて飲み込むまことの光。
私達の心を覆う闇、それは不安、それは恐れ、それは悲しみ、それは悩み、それは絶望、、、それは罪。
この闇をどうにか取り除きたくて、誰もが本当は希望の光を探し求めている。
そう、だからあなたのために、このまことの光は救い主として、この地に誕生しました。
神である存在(神の御子である存在)が人の姿となられて、無限の存在である方が、あまりにも無力な人間の姿として、この地に来られたのには訳があるのです。
彼の誕生は、今クリスマスが祝われているほど華やかなものではなく、もっとも暗く、汚く、臭い、人がおよそ誕生するべきではない場所でした。
それは家畜小屋。
この地には彼の誕生を祝う者はなく、ただほんの一握りの人々にしかそれを知らされませんでした。
それは、当時の最も貧しく過酷な労働を強いられていた人々(羊飼い)や、当時の宗教背景はユダヤ教でしたが、宗教的にはそれとは全く関係のない人々(異邦人)でした。
彼の特殊な誕生劇は、私達がどのような背景の人生を歩んでいても、どんなところに生きている人であっても、彼があなたの救い主となるために、最も低く卑しく貧しい者となるための誕生だったのです。
およそ、その人生において私達が負うべき全ての重荷をご自身で負うために、神は彼がこのように誕生することを望んだのです。
だから、その知らせはごく一握りの人にしか知らされなかった。
しかし、その誕生を見ることができた、貧しく小さく卑しい者達には、この救い主の誕生は神からの人類最大のプレゼント受け取ったこととなったのです。
この救い主に出会うために、何か偉くなる必要や、修行する必要や、努力の積み重ねで到達する必要はないということをこの誕生の事実は物語っているのです。
人は神に出会うために、何か天に居る神の所までよじ登らなければならないような、そんなイメージを抱きがちです。
だから限られた修行をした人とかしか神に出会えない気がする。救いがない気がする。確かにそれが宗教です。
ところが、神はあなたに出会うために最も低い所にまで降りてきてくださったのです。
どこを探し回る必要もありません。
救いの光はあなたのすぐ近くにあるのです。
あなたが主イエスキリストをあなたの救い主として信じ、あなたが受け入れた時に、全ての闇を飲み尽くすまことの光は、あなたの内側に命の光として、光を灯すのです。
そう。この時あなたも人類最大の神からのプレゼント受け取ることとなるのです。
あなたもその本当のクリスマスプレゼントを受け取りたいと思いませんか?

《新約聖書 ヨハネの福音書 1:1-5,9-13》
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
-中略-
すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。
彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。

巨大ハンバーグ

cb979247.jpgどうでしょう?この巨大ハンバーグ。
いまいち大きさが伝わっているか疑わしいのですが、思っているよりかなり巨大だと思っていただいて間違いはありません。

もちろん一人で食べたわけではないですよ。
一人でも食べれますけどね。
でもみんなで食べると、また格段においしい。

ということで、クリスマスを前に、おいしくいただきました。
ごちそうさま。ありがとうございました。

今日のかて ヨハネ 4:10-15

イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。
あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」
新約聖書 ヨハネの福音書 4:10-15

神がどのような方であるかということを知ることは、とても重要なことです。
多くの兄弟姉妹が神に何かの問題について祈った後に、「主よ。その問題をあなたはどのように解決してくださるのですか?」と訊ねます。
さらに自分でその願いを神がどのように叶えてくださるかの方法論まで、細かくシュミレーションまでしてしまいます。
つまり神はこのような方法で、この願いを叶えてくださるだろうと。
しかし、そのことは無限の神を、小さな小さな人間の知恵の中に、閉じこめてしまうことになるのです。
主はどのような方でしょうか?
主は永遠の命そのものである方です。
そして、私達の全ての渇きを私達が主に訴える前から、主は私達に何が必要か知っておられ、それを完全に満たそう、いや永遠に満たし続けようとされる方です。
その方法は人の手を何一つ必要とすらされないのです。
その綿密な計画は私達の計画よりはるかに高く、私達の理解を超え、想像を超えた、完全なもの。

《コリント人への手紙 2:9》
まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

つまり、私達がどのように神がなさるかということに口を挟むのは如何にも愚かしいことです。
もしもそのようにするのであれば、私達は自分の思いを、神の御心に対立させるという恐ろしいこととなり、時にはその結果として自分の思っていたことと結果が違うと、自分の思いで自らを傷つけることさえあるのです。
主は初めであり終りである方なのです。
主に全ての始まりを委ねるのであれば、主がその結果をも負われ完成されるのです。
主は義であり、愛である方だからこそ、一度ご自身が始められたことを完成しないでは居られないのです。
主は完全な方であるからこそ、私達への主の計画も完全であり、主が善である方であるから、その計画は最善であるのです。
主がどのような方であるかを知り、全ての思い煩いを主に委ねましょう。
主ご自身があなたのことを心配してくださっているのです。
この方こそ、天地万物を治められる主なのです。
その方があなたにやさしく伸べている御手に、あなた自身を委ねましょう。
主があなたの揺るぎなき人生を完成してくださるのです。


愛する主よ。小さな私達の心をあなたに明け渡します。私達の心を広くしてください。無限であり全能であるあなたを知ることができるよう、思い煩いや貧しい想像で狭くなった私達の心を広くしてください。恐れるのではなく全幅の信頼をもって、あなたに全てを委ねさせ、あなたの無限の恵みに安らぐ者としてください。私の生きる全ての時で、主を知ることは、私の最上の喜びなのです。あなたを知り、あなたと共に歩む日々をお与えください。
主イエスの御名により。アーメン。

-----------------
sent from W-ZERO3

表参道ヒルズイルミネーション

cf219537.jpg表参道ヒルズのイルミネーションはまるで舞踏会のようにきれいでした。
およそ15分おきに、光と音の舞踏会が始まるようです。
ここでデートしたら誰でも王子様・お姫様気分になれるね♪

ということで、久しぶりに満足のイルミネーションでした。

究極の癒し

やっぱり、温泉はいい。
わざわざ温泉に入るために旅行に行くのもいいのですが、最近は東京近郊の温泉に入っている。
これがまたいい。
温泉に入って、すぐに帰って家で寝るというのはある種癒しの究極の願望を満足させる。
さらに中の施設が充実していて、食事などもできたり、マッサージや仮眠などもできればなお良し。
ということで、今日も温泉に行っていきました。

長湯に浸かると、芯まで疲れが癒されます。
特に頑固な肩こりとか眼精疲労とか。取れにくいテクノストレスとはこれで一発で吹き飛びます。
いいですねぇ。

でブログとか更新して目疲れさせてどうするの?
では、ということで今日はこの辺で。。。

今日のかて マタイ6:19-21

《マタイ 6:19-21》
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
あなたの宝のある所には、心もあるからである。

私達の信仰者としての歩みはどこを見ているかに拠ります。この地上に何を作り、何を積み上げ、心の支えや誇りとしても、それらは儚く消え去るものです。
どれほど、地上で能力があっても、経験があっても、地位があっても、経済的に豊かであっても、どれほどの素晴らしい物達に囲まれていても、それがどれほど確かに見える、自分の将来を保証してくれるように見えたとしても、それらは御言葉のように「虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出す地上」に積み上げる物は、いとも簡単に儚く消え去る虚しいものに過ぎないのです。
ならば何をするために生きているのかと、逆に目的を失い、虚しく悲観的になる必要はありません。
確かに聖書においてこの世と言われている、この社会における価値観では、地上に結果を出す、積み上げる以外に生きる目的が見えないでしょう。何せ、天を知らないのですから。
天の存在を知ることができるのは、主イエスを信じ救われて新しい命に生まれた者だけです。なぜなら、私達の内に生きる命、聖霊は天から下られた霊であり、だからこそ、私達をこの地上に生きているこの時でさえ天にある者と等しくされるからです。

《1コリント 15:42-50》
死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、
肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。
聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。
最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。
この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。
すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。
兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。

地上にある命はやがて朽ち果てますが、この天から降って私達に与えられた、天からの新しい命は永遠に朽ち果てることはありません。
そしてこの天から来た命は天に属する者の性質を持つために、私達に天を見させ、天を味わい知ることを与えるのです。
そして、この天こそ永遠という、終わることのない、限りのない、つまり時間というものを超越した場所であり、そこにあるものは全てが永遠の中に変わることなく存在するのです。
私達はこの天を見ることができるのです。

《2コリント 4:16-18》
だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

私達はこの天を見る時、そこにある永遠の栄光を見ます。私達がどのように生きるとしても、地上に宝を積むよりも、天に積まれる宝の素晴らしさに、地上では味わうことのできない喜びを知るのです。
主の御心を行い、主の栄光を求めて生きる時、地上に何が起こることよりも、天においていかに栄光に輝く宝が積まれているのかということの方が、はるかに価値ある生き方であるということを、内から溢れ出てとどめられない程の喜びのうちに、確信するのです。
私達に与えられている命は永遠です。終わることのない永遠の人生を歩む私達にふさわしい、価値ある歩みを求めましょう。
昨日とは違う、あなたの日々の過ごし方が今日から始まるのです。


愛する主よ。まだ私達には、あなたが与えてくださった永遠の命の本当の価値がわかりません。それは知性では理解することのできないほど、絶大な価値を持つからです。この命を持つにふさわしい歩みを私達に教えてください。天的喜びの深さを存分に味わい知る者としてください。私達に天に宝を積む喜びを教えて下さい。あなたがそのことによって喜びを得てくださいますように。
愛する主イエスの御名によって。アーメン。

ドライもん

のび大「ドライも〜ん!またジャイアントにいじめられたよ。助けてよ〜。何か、ギャフンと言わせられるものを出してよ〜〜〜〜。」

ドラいもん「・・・」

のび大「ねぇ。何とか言ってよ。ドライもん。」

ドラいもん「・・・・・・」

のび大「どうしたんだよ。ドラいもん。ドラいもんも悔しくないの。ジャイアントがひどいんだよ。」




ドライもん「もう、5時すぎていますので。残業はいたしませんので。あとはご自分でよろしくお願いします。」

のび大「あっあっそこがドライだったんだ・・・。ビジネスだったんだ。それっ・・・」




※秋になりましたので、新しいドラいもん登場してもらいました。
お後がよろしいようで。

花咲くガンダム

b6c6b65e.jpgいやぁ、またお台場にガンダムが戻って来たと聞いていたので、とうとう念願かなって、行ってきました。
「やっぱり、等身大ガンダムはでかいねぇ」とか言いながら、話に花が咲いていました。
が、何とガンダムにも花が咲いてしまいました。
なっ、なっ、何ということでしょう。

戦闘用モビルスーツという決してラブリーではないものが、フラワーでラブリーになっています。

ということで、気になる方は実際にその目で見て、話に花を咲かせ、またガンダムに花を咲かせてみてください。

ひとり縁日

駅前にいつも出ているお好み焼きとたこ焼きの屋台。
たまにどうしても食べたくなるときがある。
特に、ここのところ気温が急に下がってきて、ちょうど誘われる感じ。
で、買ってみた!

クリスチャンはお祭りには信仰上あまり行かないので、縁日にはかなり縁遠い。
なので、こういう機会に、妙にテンションが上がってしまう。
せっかくなので、このテンションに応えるべく、ガードレールに腰掛けながら、外で食べた。

うん!いい感じ♪

台風が来た

今台風が来てます。
建物の中にいるけど、ゴー言ってますよ。
凄い風なんでしょうね。
さっき帰って来たけど、建物に入る直前にゴーっと凄い勢いで風が吹いてきて、ビビりました。
ていうか、それまで、実は雨が止まっていて、傘差さずに帰れたのは、まさに奇跡。主が雨を止めていて下さったというのが、何とも感謝。
で、最後に突然の風。ここまで守って下さったんですね。主よー!という感じです。

皆さんもお気をつけください。というか主にあって守られますように。

アベンジャー○集合

c4f6d617.jpgやっぱりこの手にはつい弱くて、見に行ってしまいました。
何せ、ウルトラマンから仮面ライダーから、戦隊モノまで、ヒーローが集結するものは一応見るよねぇ。
一種の祭りです。これは。
過ぎていった夏の夏祭りさ!

それにしても世界的にはヒーロー大集合なんて、珍しくてすごい観客動員数らしいけど、日本では見慣れていて、ほのぼのとした気分にさえなりますね。
日本て凄い国なのかも。

東映まんが祭りグレイト!

女性ジャーナリスト、シリアに散る

また、日本のジャーナリストが亡くなりました。
戦争に声なき叫びを上げる、女性や子供の声を現地から直接伝えようと誠実に取材を続けて来られた方。
女性ビデオジャーナリストの草分け的存在だったそうです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120821-OYT1T00232.htm

胸が痛みます。
人の命が軽んじられて見られる社会性は、戦争という問題を抱える国々では想像以上です。
それは人の命を命と思わない構造。
人の尊厳は存在しません。
人の命の大切さを伝えること。人の大切な思いが声が踏みにじられることのない社会。
戦場を駆けていたはずの自分の姿が重なり、すみませんという気持ちになるのが正直なところです。
一人の命も失って欲しくない、伝道者としての気持ちは変わりません。
平和なこの社会でもっと伝えられたら、踏みにじられるはずの命が留められたら。
そうして走り始めたこの道、まだ充分に走れていないのを自問しています。

主にある平和を心から祈ります。
大切な方を亡くされた、ご家族、友人、関係のある全ての方々に、この悲しみが平和への益となり、また主の慰めが皆さんに豊かにありますように。

「青空に思わず」

5cad5b37.jpgきれいな青空に胸がすく
少し歩いてみる
照りつける太陽
むせかえるような熱い空気
生きていることを満喫する
夏の暑さにこれでもかと
生きている実感が迫り来る

歩きだそう 生きてるから
まとわりつく汗を気にせず
あー暑いって歯を出して笑おう
宿題を忘れて遊んだ
あの日のように

パンダ高まる

a85fc61d.jpgなんか突然ですが、パンダです。
生パンダ見ました。
パンダ萌えます♪
一緒に笹食べたくなります。
タイヤでコロコロとかしたくなります。

おおおぉぉぉ、パンダ高まる!!
プロフィール
Taka♪

新橋駅前広場にて、人生の真実を叫び続ける伝道者、ストリートメッセンジャーのTaka♪です。
Taka♪Profile

ホームページ
『一発逆転』人生塾
http://119.go2.jp


メルマガ配信の登録はこちらから
今日のかて登録
『一発逆転』人生塾登録
フォトアルバム
ブログアルバム
記事検索
QRコード
QRコード
Recent Comments
Recent TrackBacks
livedoor プロフィール
  • ライブドアブログ